オールディエ ―石造りの白の女王の話―
「この世で最も美しい歌を知る者は?」
金の仮面の女王は高見にある光り目映い玉座から、吟遊詩人を見下ろし尋ねた。吟遊詩人のもはや血を吹くだけの喉は答えた。
「オールディエ。私より美しい歌の者」
彼の声は、国一番の美声は金の仮面の女王をたたえる歌を歌うために死んだ。
今では愛の歌も呪いの歌も歌えない。
女王の声は氷のようだった。
「ありがとう。お前に用は無い」
太陽と月ともに空にある美しい日、吟遊詩人はぼろくずのようにその命を捨てられ、代わりにオールディエが探し出されて城に連れて行かれた。
オールディエ。
それは名ではないようだったが、一人の娘が女王の前に連れてこられた。
女王は激昂した。
娘はツグミだった。
「ではお前、どうやって歌うというの?」
ツグミの娘は吟遊詩人の結末を聞いて涙を流し、女王に自分の言うことを聞くように伝えた。
娘の細い指が言葉を紡ぐ。
指の言葉は歌ではなかったが、秘密の歌、オールディエを教える条件だった。
・ 石で覆われた城を出ること。
・ 何も持たず、誰も連れずツグミの娘のもとにくること。
・ 期限は1年
隠された歌、オールディエを聞きたい金の仮面の女王は、ツグミの娘の家にやってきた。
あまりに娘の家がみすぼらしかったので、女王は苛立のあまり自分の王冠をかなぐり捨てた。
いつもなら侍女が慌ててご機嫌を取るのだが、ツグミの娘はそうしなかったので女王は苛立ったまま王冠を捨てておいた。
みすぼらしい娘の家のある所は国の外れの誰も居ない土地だった。
白く陰気な小さな野原と枯れた森、水の少ない川しか無かった。
華々しい貴族や下賎な下々の者どもなどいない。居るのはツグミの娘と茶色に汚れた娘の犬だけだ。
娘はツグミであるだけでなく、目も悪いようだった。
とんとん、とんとんと長い杖で大地を叩きながら歩く。
金の仮面の女王は苛立つやら悲しいやら、宝石で飾ったドレスをかなぐり捨てた。
「どうして私はここに来たのだろう」
金の仮面の下で嘆いた。
ツグミの娘のベッドは固く、出された食事は食べかすのよう。
家の外も中も色鮮やかな花一輪として飾られておらず、すきま風は凍るように冷たい。
味も素っ気も無いのだ。
唯一の救いは、娘は掃除が好きと見える所だけときた。
暇さえあればほうきを使い、雑巾を絞った。
しばらく金の仮面の女王は、固いベッドから起き上がることもせずにふてくされていたが、いつまでもごろごろしてばかりでは体もなまる。
金の仮面の女王は起き上がり、外に出た。
ツグミの娘は棒を振り上げ大地を叩いていた。
杖で叩くようにではなく、一つ一つがゆっくりと、だが力を込めて叩き続ける。
「何をしている」
ツグミの娘の手振りが答えた。あなたに歌を教えようとしております、と。
「大地を打って、それが歌だと? 馬鹿馬鹿しい」
ツグミの娘はちょっと困ったように微笑んだ。
期限は一年と申し上げましたでしょう? まだ時間はありますよ。
「好きにしろ。だがもし歌を教えられなかったときにはその首が城壁の向こうの野良犬どもの餌食だ。楽しみにしているがいい」
ツグミの娘は微笑んだまま女王に頷いた。
白かった景色がいつの間にか黒ずんだ茶に変わっていた。
女王はあたりを一瞥するとこういった。
「なんとも味気ない世界。これだったらあの白一色のほうがどれほど美しかったか。
なんともみすぼらしい世界。ぬかるんだ泥と枯れ草の、死の世界のよう」
ツグミの娘は微笑んだ。
金の仮面の女王の手を引いてあの大地を叩いていた場所に連れてきた。
大地を叩いた後に小石をばらまいていたのを女王は見ていた。
本当にこの娘は愚かだ、と女王は思っていた。
「今度はお前、私に何を見せようと言うの」
若緑の弱々しい草がいくらか顔を出していた。
恥じらうようにまだ冷たい風になびきながら2人の到着を待っていた。
「なんだ、この雑草は」
女王は踵を返した。こんな馬鹿馬鹿しいことに付き合っていられない。
金の仮面を磨いている方がずっと美しく、目に楽しい。
雑草がなんだというのだ。
そろそろ女王の我慢も限界に近づいてきていた。
ツグミの娘は一向に歌わないし、喋りもしない。
その犬もおどけてみせようともこびてみせようともしない。臭いばかりの犬は時々居なくなる。
出される食事は一日に乾いたパンが二切れ。木の実がいくらか。肉は塩漬けの豚で、それもとてつもなく薄く切ったものが一枚だけだ。
我慢は限界に来ていた。
ところで女王は知らなかったことだが、女王の城は大変なことになっていた。
女王の集めた姿形の美しい家臣たちは幾つもの派閥に別れ、政治は混沌としていた。
自分たちを美しく着飾るための宝石や布が隣国から際限なく輸入され、民への税はさらに重くなっていた。
そして、民が革命を起こしていたのだ。
金の仮面の女王を殺せとわめきながら、女王を探していることなど、女王は知らなかった。
女王は季節と言う言葉を知らなかったから、春と言う言葉を知らなかった。
だが、それは春に起きた。
正確に言えば春の終わりだった。
「女王様」
はじめてツグミの娘が喋ったのだった。しっかりとした声だが美しいとは言えない。
「申し訳ございません」
女王はいぶかしんだ。ツグミだった娘は何を言い出すのだろう?
「今すぐ、その仮面を私に渡して下さい」
女王は激昂した。
お前は歌を教えないばかりか、この私の仮面を狙っていた賊だったのか!
あまりの感情の高ぶりは、女王から声を奪った。
「時間はありません」
ぱくぱくと口を動かす女王にツグミだった娘は深々と頭を下げた。
その腕の中には、あの茶色の汚れた犬が横たわっていた。
女王は初め犬だとは気付かなかった。
ハリネズミのように矢が刺さっていたからだ。
娘は金の仮面の女王から金の仮面を奪い、自分が被った。
女王が投げ捨てたはずの王冠とドレスを身に纏い、家から出たのだった。
「畑の世話をお願いします。葉や実を食い荒らす虫がついたら虫を退治してください。
水をあげてください。分からないことがあれば、町で尋ねてみて下さい」
みすぼらしくなった女王を一人置いて、娘は外に出た。娘の家は民に囲まれていた。
民の手に持つ鍬の先には、姿形の美しい家臣たちの首が乗っていた。
金の仮面を被った娘は言った。
「どことなりと行きましょう。ただ、中のツグミの女も殺してくれ。私はあれが通報したのだと思っている。
憎くて憎くて仕方が無い。この私に対し仕事ばかり押し付けたあの女も殺してくれ!」
民は娘を連れて行った。女王だった女は口をつぐんだまま娘の処刑を見た。
民はツグミの女を殺さず、褒美として食べるものを与えた。女は静かにあの家に戻った。
夏と言う言葉を女は知らなかったが、強い日差しの下、青々と力強く茂る葉に虫がつくのを手でとった。
こんこんと流れる小川に足を浸すと冷たくて気持ちがよかった。
ようやく川で身体を一人で洗うことに慣れた。
秋と言う言葉を女は知らなかったが、ここでようやく見たことのあるものを見た。
かつて城に居たときに際限なく食べることが出来た果実だ。
その艶やかに実った果実を口にすると、甘い香りと汁がのどを潤した。
種がころりと舌の上に乗った。
その種は、娘が蒔いた小石に似ていた。
「ああ……」
オールディエ、オールディエ。
なんと寂しいことだろう。
ようやく女王は娘が言いたかったことを知った。
オールディエ、オールディエ。
確かに何よりも美しい。
一つとして同じ所がなく、全てが調和する。
オールディエ、オールディエ。
終わりなき美しさが身体を締め付ける。
女王だった女ははじめて泣いた。
終