修正液
彼女はよく間違えた。
図書館やカフェテリアで一緒にレポートを製作していると一時間に5回は
「ねえ、修正液貸してくれない?」
と声をかけてきた。
僕の目の前でかしゃかしゃと修正液をふり、ぺたぺたとコーヒーポーションに似た液体を間違った部分に塗りつけるのはいつものことだった。
「修正液って便利よね。間違ったら塗りこんでしまえばいいのだもの。跡形もないわ」
「そうだね。特に君になくてはならないものだ」
ぱたぱたと修正液をつけた部分に白い手を閃かせて風を送りながら彼女は他愛のない話を始める。僕はソレに付き合って何度彼女と一緒にレポートの提出を遅れかけたか。
それでも僕が彼女と一緒でいるのを止めなかったのは、彼女に恋心を抱いていたからだろう。
ただ、そのことに気がついたのは彼女が大学を出てすぐ結婚した後だ。
取り返しのつかないことを、と後悔したが僕にも出会いがあり別れがあった。
彼女のことは過去のきらめきとなっていた。
その彼女が目の前で微笑んでいる。
ふわりと優しい造作のまま、まるで学生時代に戻ったような彼女は白い壁の前の緑色のソファに腰掛けていた。
コーヒーカップを持つ仕草はまるでここがカフェテリアだと感じさせるくらいに見慣れたものだ。
他愛のない話に花が咲く。
「そういや、ご主人は元気かい? 結婚式以来会ってないからなぁ」
彼女は少し驚いたように柔らかい弧を描く眉を上げ、いやねえ、と笑った。
「何を言っているの? 私は結婚なんかしていないわよ」
誰かと勘違いしているんじゃない? と、笑いながらコーヒーをティースプーンでかき混ぜた。コーヒーポーションが黒地に白の渦を巻き、ゆっくりと黒を別の色に染めていく。
「でも、そろそろ私も歳になってしまうわね」
コーヒーを飲み干し、軽くおどけたため息をついて彼女は猫に似た目で僕を見た。
「ねえ、結婚しない? 私には、あなたはなくてはならないものなのよ」
呆然としている僕に彼女は微笑んだ。
「コーヒーのお代わり作ってくるわ」
キッチンへポットを持っていく彼女の後姿を見て気がついた。
周りは薄いブルーの壁。
彼女のソファの後ろだけが、白い壁なのだ……。
終