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紅き薔薇に祝福を 1


 ―――どうかこの人が今度生まれてくる刻は、
    誰かの優しくて、暖かい手で迎えてあげてください―――
  あたしは生まれて初めて心から、そう、神様に祈った。


《とても昔の話――――神話、または神史》
混沌から天の神シンカと地の神テリトナが生まれた。
その後二人は混沌の感情より他の神々を生み、混沌より生命を創り天父地母神となった。
そして、混沌より〈裁きの獅子〉が生まれ出でようとした時、陰の気から〈美しき魔獣〉が獅子を飲み、生まれた。
それから、イルシオナの神々対魔獣の戦い《神獣大戦》が勃発する。その間に陰の気の残骸より悪魔が誕生し、生命の侵略を開始した。《神獣大戦》の方では、地母神テリトナの蒼眼より生まれた《海色瞳の一族》が近因となり魔獣は封印され長年の戦の終末を迎えた。
その後、悪魔はすぐに一掃され、地上に平和が戻ったかのように見えたが、未だに陰の気は悪魔の排出を続け、ニンゲンを始めとする生命全体に揺さ振りをかけている。


「―――ですから、神々は私達に対抗する術を授けてくださいました。
それがご存知のように〈悪魔祓いの力〉です。
貴方がたも、それぞれの力を頂いた者として是非とも、苦しんでいる方々を助けて差しあげて――グロリア! 寝てないで起きなさいっ」
 リオン神学士の一喝にグロリアと呼ばれた修学士が慌てて顔を上げた。
年の頃は十代半ばと言ったところか。澄んだ琥珀色の瞳と髪が印象的な少女である。
その右頬には動かぬ証拠がべっとりと付いていた。
リオンは毎度の事ながら呆れてため息をついた。周囲から忍び笑いが漏れる。
「顔を洗ってきなさい、グロリア。その後、私のところに来るように。
さて、それでは授業はここまでです。皆さんにシンカとテリトナの祝福がありますように」
 リオンは一礼すると竹を割ったように真っ直ぐ出口に向かった。
修学士たちは当然の如くリオンが教室を出るまで頭を下げている。
もちろんグロリアも下げてはいたが、髪の間から見える頬も耳も真っ赤になっていた。


《少し昔の話―――十年位前の話》
ファルデリアの首都ソアルから東に位置する所にエルフィの村があった。
ファルデリア共政国大半の街町村の例に漏れず森に囲まれ、其の中には冷たい水の湧く泉を持つ静かで小さな村だ。
 しかし、珍しく大きな崖崩れが起きた日を境に、泉に遊びに行った子供が何人も失踪するという事件が発生し始めた。
人攫いに攫われたのだろうか?モンスターに襲われたのだろうか、と警備隊にも冒険者組合にも捜索願が出されたが結局何事も無く終わってしまった。
次第に失踪するのは子供のみならず、泉に水を汲みに行った女、木を切りに行った男へと被害者が広がり、村を捨てる者も出始めた。噂が噂を呼び、エルフィに来る商人や旅人の足も途絶え始めた。
その頃、その話が国王の耳に入り修行を終えたばかりの娘が派遣された。
娘がエルフィに着くや否や、娘は元凶を瞬く間に突き止め退治してのけた。
その時襲われていた子供を助け出して見せたのである。
その時からまた改めて〈悪魔祓の力〉が見直され始めた。
 娘の名はローザ・グリフ。元凶―――スライムの形態をした悪魔の名はドゥブルヴェであった。


「勉強熱心ね、アラン」
破魔士ミンシアは一人本を読んでいた少年に声をかけた。濃灰の髪と凍る蒼の瞳が目を引く。
いつでも冗談めいた微笑を浮べるアランはミンシアの一番弟子だ。
今のところ一番の素質と、場数は少ないが程々の実戦経験を持っている。
とっくに彼女の許から卒業し、修行の旅に出ても良いのだが行こうとしない。
ミンシア自身、無理に行かせようとはしていなかった。
破魔士は神殿の修行を終えた悪魔祓士と共に共に動くのが好ましい。
それは悪魔祓士とて同じ事だが、最良の相性であることが最も望ましいのだ。
「先生、俺が卒業して何年になりますか?」
「何年ってそんなに経っては無いけど、三年ぐらいかな。
それに君は飲み込みがすっごく早かったから、普通より早く卒業したんだよね」
 すっかり自分より大きくなった弟子を見てミンシアは笑うが、アランの何処か思いつめたような表情に慌てて笑うのをやめた。
「どうしたの?」
「いえ――」
 そういえば、この頃の自分とはどんなものだったろうか?
あまり思い出したくない。
恋愛、という物も魔法最高峰『ジェア』という限られた空間であるが一応やっていたと思う。
それは憧れていたあの人に近づいて、いつの間にかあの人でなく、あの人の自分と同じ年の友人に恋をしてしまったという、よく分からない物だった。
結局、あの人は『ジェア』に二年ほど居ただけで何処かに行ってしまい、その友人はそれから数年後、炉に突き落とされて死んでしまったが。
もっとも、おかしな話だった。『あの人』とは、自分よりも五、六歳年下だった。
出て行ったときはやっと十になるかならないか、という年齢だったのに、ミンシアは憧れていた。
たった二年程度で『ジェア』を卒業したその子供の秘める魔力や才能、知識に憧れてしまったのだろう。手の届くはずの無い魔物じみたその子供全てに。
――もう、終わった事だ……。
「先生、聞いてる?」
 アランが少し怒ったような声を出した。
「あ、ごめん。もう一度言ってよ」
 弟子はまったく、と頬を膨らませる。もう一度同じ事を言う為に口を開いた。
――こんな表情を、あの人はしたかなぁ? ミンシアはいつの間にかアランとあの人を比べている自分が居る事に気がついた。
「悪魔祓士ってのは、難無くこなせば八年かそこらで終わるはずですよね? 
俺より一年早く神殿に入って、破魔士の育成のほうが長くかかるはずなのに俺よりも卒業が遅いっていうのはどういうことでしょう?」
「あ。じゃあ、今まで旅に出なかったのはその子待ち?」
「そうですよ。あいつときたら、いつも俺の一歩先を行きたがるくせに追い抜かされるんだ」
「例えば?」
「例えば、俺の事『好き』って言ったんですよ。俺が先に言おうとしたのに」
 アランがここに来たのは(記憶に間違いが無ければ)七歳の時だったような――いつの事よ?
「それでも『親愛の日』にはバッチリ忘れて、結局贈り物を贈ったのは俺の方だけだった訳で」
 ダンッと、アランが荒々しく置いた本は確か、私が貸した本のような――――貴重な紙の本なのだが。
「本当、もう他の娘(コ)に乗り換えようか悩んでいるとこなんです」
 ふてぶてしい弟子は大仰なため息をついた。
「……アラン、何歳だっけ?」
「十七ですよ」
 最近の子供ってヤツは……。ミンシアは頭が痛くなった。
「で、先生何の御用で?」
 忘れるところだった。胸のポケットから一枚の羊皮紙を取り出した。それをアランに渡す。
「今度、旅に出られる悪魔祓士のリスト。あげるね。まだ卒業できる子は居ないし。いつも言うけど――――」
「『初志貫徹』ですね。分かってますよ」
 受け取った羊皮紙を開いて見ていたアランはミンシアに片目を瞑ってみせた。
「俺、今度の『逢対の儀』に出ます」
 ミンシアの頭痛は更に強まったようだ。


《この間の話―――逢対の儀》
【『逢対の儀』はソアル城の儀式用に青、緑、白を基調とし、王座の代わりに台座を鎮座させた謁見の間で行なわれる。
そこで王と大祭司、その両脇に教え子が旅立つ破魔士と神学士が立つ。
それから緋の衣を纏った王が銀の冠を大司祭に、大司祭が金の錫を王に受け渡し、国の繁栄を願って神々の祝福を祈る、というところから始まる。
《シンカの望み》と《テリトナの祈り》による判別が行なわれ、六芒星の陣に参加出来る者が旅に出ることが出来る。
《シンカの望み》と《テリトナの祈り》はその者が秘める力に応じて色を変化させるが、まったく変化が無い時はまだその者の出番で無い場合である。その場合、次の逢対の儀を待つべし。
特別追伸。なお、儀式の際には言葉を発してはならないため君は注意しなさい。】
「……」
 ベッドに座ったまま、グロリアは苦虫を口一杯に噛み潰したような顔をして羊皮紙の巻物を丸めた。リオンから渡された物だ。
『特別講座通告書』である。渡された理由は至極単純だ。
―――リオンの授業を怠けて二年も留年している為―――
彼の授業さえ終わらせれば、彼女は卒業で安心して逢対の儀に参加する事が許可されるのだが、グロリアにとって神史の授業はつまらない物だったのだ。
ちゃんと知ってるのにね、神史ぐらい。
そう言えるほど、彼女は神殿に入った時から神史に馴染んではいるのが、暗唱をし、考察するという事に対しては不熱心だった。
だからリオンの授業は考察を元にするためにつまらないと感じるのだ。
神史なんておとぎ話じゃないの? と考えているうちはリオン卒業を許す事は無いだろう。
一般に知られているのは《神獣大戦》や《奇跡》の所が主で、《悪魔発現》の章は聖職者、魔法関係者程度に留まる。
そのため、余計におとぎ話のように感じるのだ。
リオンはいつも
「人々が《悪魔発現》も知っていれば悪魔祓士は要りませんか?」とグロリアに聞く。そうではない事もグロリアも知っている。
「神々の術を知ってこそ私たちの力はその意味を持ちます。
聖力も、魔力も使い方を知らずにおけば、その力は抜き身の剣にしかならないでしょう。
それも、誰彼構わず傷つけてしまうような」
 この言葉は、既にリオンの口癖のような物だ。分かってはいる。
ただ、何故意味まで考える必要があるのだろう?
「あたしは、早く悪魔祓士になれればいいだけなんだけどな」
 グロリアはリオンに怒られた後、必ずと言っていい程そう呟いた。
「何やったのよ、グロリア」
 頬を膨らませたままのルームメイトにレイラは眠たい目をこすり、声をかけた。
丁度二人とも二段ベッドの上段を寝床にしているために互いの顔は良く見える。
「レイラァ、あたし特別講座受ける事になっちゃったよ。どうしよう……」
「あら、お気の毒」
 レイラはそれだけを言うと枕を抱え眠りにつこうとした。ただ、陰気になったグロリアが鬱陶しかっただけだったようだ。
「聞いてないでしょ」
 返事はない。レイラは種族関係上、夜間修学士だった。
「ねぇ、どうしよう。あたし生きて帰れないかも。
実戦で一度も成功してない悪魔祓いなんて出来ないよ」
「弱気が死を招くのよ。ベテランだって死ぬ事あるんだから」
「弱気が、ってそう言う問題じゃないんだってば。一度も―――」
「死ぬ時は誰だった死ぬんだから諦めなさい」
 五月蝿そうに手を振る彼女にグロリアはスライムのようにまとわりついた。
「レイラちゃん、冷た――い」
「ええい、五月蝿いわねっ。いい、グロリアっ? 
その特別講座ってのはどうしようもない奴を大司祭様が選んで受けさせるものでしょう?
もし、そのどうしようもない奴が凄い力を秘めていたらどうするの? 
死なせちゃうなんて勿体無いじゃない。
それに死なせるくらいならもっと手っ取り早く『君、才能ありません』とか言って実家に帰らせた方がいい。
だから、この講座はそいつの才能を伸ばす為にわざわざ神託をいただいて創られているの。
 わかった?」
「そっか……」
 レイラは軽く鼻を鳴らして枕に顔を埋めた。
「ありがとうね」
 グロリアはレイラの聞いていない礼を言うと数少ない私物をまとめだした。
「先生が言うように使い方も覚えるのはいいけど、意味もちゃんと知らなきゃ死ぬわよ。
なぜ、そう力を使うのか知らないとね」
 この呟きをグロリアが聞きつけたかどうか定かではない。

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