紅き薔薇に祝福を 8
――お姉ちゃんだ!
――お姉ちゃん、遊んで!
――鬼ごっこしようよ、お姉ちゃん!
二、三歳から最年長では十歳位の子供達が、ローザを取り囲んだ。
食糧を積んだ荷車を、彼女は引いている。山奥で、ここには人が来ない。
行商人などは持っての他だ。
「じゃあ、ちょっと待っててね。これを置いて来ちゃうから」
白く古びた建物に子供達は住んでいた。彼女もここに住んでいた。
足の悪い女が、杖をつきながら出て来る。
――いつも、苦労をかけるねぇ……。
「そんな事ないよ!私は好きでやってるんだよ。お母さん、足は大丈夫?」
――ああ、少しはいい具合だよ。ありがとう……
懐かしい景色は闇に溶けていった。
《願い》
ローザの左手の中でアドルフは首をつかまれもがいている。
凍るほどに白い頬を黒い蔦のような模様が走り、禍禍しくも、美しく死を感じさせる姿。
もはや生命を持つものではない。
アドルフを捕らえた時、幻のような時間が流れた。
舞うようにアドルフの背に回り首を捕らえ、右の掌底でその背に衝撃を加える。
そして、その痛みに耐えかね膝をつくアドルフの首を掴むと、片手で宙吊りにした。
その動きの中で、ローザの姿は変貌したのだった。止める事の出来ない、瞬間。
「悪いが、グロリア。
私は恥辱を受け殺されてまで微笑んでいられるほど出来た人間ではない」
アドルフの首が異様な音を立て始めている。
グロリアは訳がわからず、ただ首を小さく横に振るだけであった。
「悪かっ……、許し……」
「今更自分だけ命乞いか?私もそうやって貴様に命乞いをしたな。
『お願いです、止めて下さい。私の妹達は私の稼ぎで暮らしているんです』と。
それをお前は何を言った?」
ローザの顔が怒りに歪む。
「――『所詮、悪魔を操る奴の育てるガキどもも悪魔を操る。
ならば将来の禍根は今取り払うが一番だ』そう言ったな。知っているか?
我々悪魔祓士を始めとする聖職者は慾に翻弄される事はならない。
例え、それが他人の物であったとしても―――」
アドルフの顔は蒼くなり、呻く声のみとなるのは血が途絶えただけではないだろう。
反論するそぶりを見せなかった。
「死んだ後、ローザ・グリフであった霊体は母の孤児院に飛んだ。
山奥であるがために、そしてファルデリアの様に富んだ国でない為、子供達は日一日とやせ衰えていった。
それを指を咥えて見ているだけとはどんなに辛いかお前のような鬼畜に分かるはずがない」
ローザはその手を放した。黒く流れる黒髪のために表情は窺い知れない。
「お前等は、私独りを殺したのではない。孤児院の子供達をも殺したのだ―――」
若き祓人は息を飲む。体は動かなかった。
あの静かな懐かしい故郷で、自警団長であるアドルフがそのような事をしたのだとどうやって想像すればよかっただろうか?
「許すものか。子供等に何の罪があったというのだ?
一時の劣情に流されるなど愚かにも程があるぞ、アドルフ。
お前のような者など試す必要もなかった。実妹、実子を省みぬ者など、下らん。
苦しんで死ね」
ローザの手の平から紅い光がこぼれる。
それは収縮し、鋭く輝き放たれた。グロリアは兄の名を呼び、アランは目をそらした。
障壁を作り上げようとする前に、アドルフの足は貫かれる。
血に塗られた祈りを具現化したかのように―――。苦痛に満ちた叫びが部屋に満ちる。
「やめてよ! ねぇ、先輩やめて!」
そう叫ぶグロリアにローザは振り返らずに静かに答えた。
「私は、今までに十人の者の魂を奪った。
その内、この世でこの体を保つのに奪ったのは二人のみ。
残りはあの時に居合わせた自警団の者ばかりだ。私はその八人に生きるチャンスを与えた。
愛する者を傷つけられる悲しみを知ってもらう為にその身内に悪魔を取り付かせたのだ。
―――しかし、生き残れなかった。
妻の場合。その者は他の女と挿げ替えた。子供の場合。
その者は面倒だからと言って己の手で殺した―――。
一体、何が起きてしまっているのだろう。ここまで人間が荒れるとは――――」
「だからって、殺していいって訳じゃない。
あんたが憎んでるこいつだって、人の親なんだ」
「私も、この数日間何度も許そうとした。しかし、もう許せない。
肉親を捨て、慾に走ると言う行為などは。あの時と全く変わらないではないか。
この男は私がエルフィに悪魔を召喚し、自分で退治する芝居をやって村から金を巻き上げようとしたのだと勝手に考えた――。
自分の妹が襲われていたというのに。年若い子供達が襲われていたというのに」
グロリアは何も言い返せず、唇をかんだまま黙った。
「あんたは間違っているよ!!
子供達を捨てる事は許さない、あんたが捨ててるじゃないか!
孤児院の子達はどうやって死んでいった? アドルフを恨んで? 違うだろう?
大好きなあんたが悪魔と融合する事なんか、ちっとも考えてないハズだ!!」
「うるさい」
ローザが間発を居れずに祓人の足元に紅光を炸裂させる。
それを咄嗟のグロリアの祈りが遮った。
「この男で私の目的は達成される! 邪魔をするな!!」
「するよ! 先輩が助かるまでは。先輩を助けるんだもん!」
グロリアの声にローザは苦々しげに呟いた
「……もう遅いのだ……」
その呟きが二人の耳に届く事はなかった。
やはり、もう駄目なんだろうか?
そんな言葉が胸に満ちる。
ローザは強かった。
どんなに真剣に祈っても看破され、破魔の魔法は破られた。
強過ぎる。
札や宝珠を使わせてくれる隙もない。
逃げても、すぐに捕まり激しい蹴りの一撃が待っている。
二人は気付かなかった。
彼女が何処まで悪魔に飲まれているかということに。
――やってしまえ、やってしまえ
「駄目だ、この子達だけは……」
――構いやしない。私達に牙をむいている
「駄目だ、この子達だけは……」
私を救えるのかもしれない。
――簡単な事だ。お前に出来ないのなら、私がやろう
紅い光がローザの右手に宿る。そのまま突き出されたとき、破壊の光は放たれるだろう。
「アラン、魔返しの壁を張れ!」
「!?」
――裏切るか……
「ああ、そうだ! この子達は殺せない!」
何度も攻撃的な祈りや魔法をかける隙はあった。
それでもかけなかった祓人は悲しいとローザは思った
――……
光が放たれた。
固く身を強張らせていたグロリアの目の前でローザの腹部に大きな穴が開く。
その衝撃で彼女の体はくの字に曲がり跳ね上がった。
「もう、お前など要らない」
黒い影がローザの体から離れた。
その瞬間、美しかった彼女の体は腐れ落ちる。
「ひっ」
「他の体なら、ここにいくらでもある」
動けない。
影がゆっくりとその手を伸ばし、グロリアの頬に触れた。
すさまじいほどの力。心の中の闇が引き出されるのを感じた。
――私を受け入れよ
「グロリア――――っ」
アランの呼び声が遠くに聞こえる。
――望みは全て叶う
――そこにいるお前の思い人すら手に入るぞ
――もう、兄を殺される事も姪が死ぬこともない
「ふざけるな。私はまだここにいる」
腐った肉のついた骨だけの手が光を纏い、その影を捕まえ、握り締める。
「何!?」
「最後まで付き合ってもらおうか」
「死にぞこないが……」
「もう、私は死んでいるのさ」
ローザが笑ったような気がした。
「[天の望み、地の祈りよ、今こそ魔を滅せ! 全ての創造者の名において、無に返せ]」
「何故そこまで、お前が出来るのだ!」
「道々に話してやろう。これで私は自由だ―――」
もう、人を許す事が出来る。
「[死谷を渡り生山を越え、両神の力よ、今ここに示され給え!]」
白の輝きが、影のうちから溢れ出でる。
その筋は次第に多くなりそして、霧散した。
ガラ、とローザであった骨が崩れる。
分かっていた。この復讐が無駄なものだと。
分かっていた。あの子達は喜ばないと。
分かっている。この子達は上手くやっていけると。
―――全ては優しさにおいて――――。
祈らせてください。
シンカとテリトナの護りにおいて
あなた方が私の二の足を踏まないように―――――
「先輩……?」
「……」
全てを語り尽くし、もう何も語らない真白の骨が妙に美しかった。
《時の砂》
何もかもが砂のように流れる。
アドルフは足を砕かれたが、命に別状はなかった。
シャランテーゼは魔法陣のお陰で怪我はなく、衰弱も停まっていた。
「お兄ちゃん、王様のとこに行こう。全部、話さなくちゃ」
アドルフは何かを言いかけようとしたが、妹の真っ直ぐな眼差しを見るとそれをやめた。
シャランテーゼの記憶によると彼女の母、アドルフの妻はアドルフに毎日のように殴られていたようだ。
それを苦にして自殺をしてから、シャランテーゼの記憶は途切れ途切れに空白だった。
「ねえ、何であの時アランがもう一人出てきたの?
しかも、ローザ先輩の過去とお兄ちゃんの悪事を暴こうとして死んじゃってたし」
「ああ、なんか分身が来てたって奴ね。知らない。
あの日、急に変な魔法かけられてな。
それでグロリアが話したような記憶を取り戻したけど、目が覚めたのは屋敷内だったんだ」
「へえ。どんな記憶?」
「それは、ローザが言っていたようにアドルフのした事とあと、ローザがその時点で死んでいたと言う事だよ」
「……やだねぇ」
「うん。あ、ここ。すっごい紅茶の店。入ってみるか?」
「うん、行く」
アランはあの酒場に入っていった。バーテンダーがにっこりと笑って出迎える。
すぐに出された紅茶はやはり凄い味だった。
「ああ、そうそう。伝言がきていますよ。
えーっと、金色獅子と名のる方からで、アランさんに。
『この前は悪かったな。ミンシアに金色獅子がよろしくと言っていたと言っておいてくれ。
結構昔の話が聞けるぞ』
――非常に美しい金髪の方でしたな。私も髪を伸ばしてみようかと悩んでいる最中です」
「やめといた方がいいよ」
一度聞いた事がある。『金色獅子』の事をミンシアから。
あの時のミンシアは、思い人のことを語るような、夢を見ているのような口調で、最高の魔法士『金色獅子』を教えてくれた。
「何を二ヤついてんの、アラン?」
「秘密」
「なんかやな感じ。
そうやってなんでも秘密にするから、あたしは死霊術をやったと勘違いするんでしょ!
大人しく何でも吐きなさい!」
「勘違いもやだけど全部吐くのもな……。人には秘密ってのが必要だと――――」
「お嬢さん。なんでしたら、私が彼についてお答えいたしましょうか?」
「あ、お願いします」
「な、なんで知ってんの!?」
「職業柄です」
「で、何? 何?」
輝いたグロリアの瞳は誰にも止められない。
その昔、ファルデリアに一組の祓人がいた。
決してその力は強いとはいえなかったが、温かい人柄を含めて人々の支えとなるには充分であった。
その活躍は各地に証拠が残っている事から、相当なものであったと思われる。
しかしこの話は知られてはいない。
ただ、カドレル男爵家に伝わる話として残されているだけだ。
もし、このような細細とした話を全て集めたのならば、相当な本が出来てしまうであろう。
私、ジャン・カドレルはこの寝物語として聞いた祖母の祖母の代の話をここに記録しておく事にした。
ところどころおかしな所があるかもしれないが、勘弁して欲しい。
記憶があやふやな所もあるのだ。それでは
琥珀の悪魔祓士と
凍蒼の破魔士の二人に
シンカとテリトナの祝福を―――
Fin
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