イメージ画へ目次に戻る次へ

そこに愛はあるか 1

暖かい日が時々続いても、「まだまだ春の日は先」と思わせるような寒い朝。
お使いに行こうと魔法道具屋『だんでぃ・らいおん』の扉を開けると、ちょうど隣の日用雑貨店『花冠』からその店主イレースさんが毛糸の帽子に白い羊皮のケープを羽織って出てきたところだった。
イレースさんもお買い物に行くところだって!
「一緒に行きませんか?」って誘うとイレースさんはにっこり笑って「もちろん」と言ってくれた! うれしい!
 雪が脇によけられて、少し凍りついた石畳を一緒に歩く。
イレースさんはすらりとした綺麗な人で、年は店長の1つ上、だから私よりも11歳上だ。
しっかりした人だから、時々変なことをしている店長を叱るのもイレースさんで、事あるごとに店長を手伝ってるのもイレースさんだ。
でもとても優しくて、店長が仕事で居ないときなんかに私と一緒にいてくれるのもイレースさん。
私が5歳の時に店長のところに預けられたからの最初の数年は、イレースさんと一緒にいた時間のほうが長かったように思う。
大きくなったらイレースさんみたいな人になりたい、と小さい時から憧れてきたけど、私はなかなかそうはなれそうにもない。
「どうしたの?」
 イレースさんは私を覗き込んだ。
初めて会ったとき、肩くらいまでだったイレースさんの黒髪も今はもうすっかり伸びてゆるゆると白いケープの上に踊っていてとてもきれい。
「まだまだ寒い日が続くわね」
 イレースさんが通り抜ける風に肩を縮こめて言った。
「そうですね」と私もうなずく。ほっぺたが寒さでピリピリ痛い。溶けたり凍ったりで忙しい路肩に積まれた雪のせいで、路地の風はとても冷たい。
私はマフラーを鼻の上までずりあげた。
「オルヴちゃん、寒くない? これあげるわ」
 そう言って、イレースさんはポケットから可愛いキルトに包まれた何かをくれた。
手にすっぽりと収まるくらいの大きさだ。ちょっと重い。
手袋越しにゆっくりあったかい熱が伝わって、かじかんでいた手がちりちりする。
なんだか気持がいい。
「ありがとうございます。なんですか、これ?」
うふふ、とイレースさんは紫水晶のような瞳をいたずらっぽく笑わせて、そっとキルトをめくる。
そこにはきれいなシマシマの入った平たい石があった。
「サグルド産の蛇紋岩よ」
「イレースさんの故郷の、ですか」
言われてみれば、その燃えるような赤いシマシマが冬の光をはじいて蛇がうねるように見える。
「そう。あの国でよくやってる暖のとり方よ。温石って言ってね。この石をね、暖炉の熾きであっためて、布にくるんで抱くの。この国も寒いけど、あそこは標高が高いからもっと冷えるのよね。でも、鉱山には恵まれてるから、蛇紋岩の温石用鉱床なんかもあるの」
「いいんですか、もらっちゃっても?」
「気にしないでいいのよ。ようやく取り寄せられたから、この冬から扱い始めたんだけど、地味だし、ちょっと重いし、石なんてわざわざ買わなくてもってことで売れ行きが悪くって。ファルデリアは羊が多いから、防寒具にはあまり事欠かないみたい」
 イレースさんはちろりと舌を出してみせてから、ため息をついた。
いつも明るいイレースさんがため息をつくなんてびっくりした。
「あと、このオレトの街だとリッシュがいるじゃない」
「店長、ですか?」
 唐突に店長の名前を出されて、ちょっと驚いた。店長がまた何かやったんだろうか?
「そう。すっかり忘れてたのよ。リッシュが冬場になると魔法道具の火尾を作って売るでしょ? うまく調節しないと火傷する温石よりもあっちのほうが扱いやすいから、ちょっと高くっても火尾のほうが売れるのよね」
 確かに。火尾は冬場の大事な主力商品だ。
魔法道具を普段使わない人たちも、これと光虫珠だけは買いに来る。
でも、それでイレースさんが困ってるんだ……。
「やぁだ、あたしったら!」 イレースさんは突然自分のほっぺたを両手でバッチンと挟んだ。
「ごめんなさいね、オルヴちゃんに愚痴っちゃったっ。恥ずかしいっ! 忘れて、忘れて!」
「ううん、平気ですよ」
 そう言いながら、私はどうにかイレースさんのお手伝いが出来ないか考えていた―――ら、思わず誰かにぶつかった。道が少し凍っていたのもあって、足が滑ったのもある。
相手が持っていた荷物から、いくつか包みが転がって落ちた。
「あっ、ごめんなさい」
「ちょっと気をつけてよね」
 相手は、3人組みの女の子の1人だった。
3人とも両手にいっぱいの荷物を抱えて、おしゃべりをしながら歩いていたみたいだ。
イレースさんにも手伝ってもらって、落とした荷物を集めて女の子たちを見送った時、私は気になる言葉を耳にした。
人の名前のような、別の何かのような……。
「すごい荷物だったわね。よくよく見たら、道を行く女の子たちみんな凄く色々かかえてるんだけど……。何かあったのかしら?」
 イレースさんの言うとおり、確かにいくら朝市が立つってあまり見たことがないくらい女の子が多いし、みんなそれぞれさっきの女の子たちぐらいの荷物を抱えている。
そして、その荷物の包み紙には赤いインクでハートマークが描かれていた。
「ねえ、イレースさん」
「なあに?」
「"ばれんたいん"ってなんですか?」
「"ばれんたいん"? ―――聞いたことがないわ」
 女の子たちが楽しそうに言う"ばれんたいん"。
 朝市で一番にぎわっている広場中央で、若いお兄さんが叫んでいた。
「さあさあ、いらっしゃい! うちのチョコレートは最高だよっ! なんたって、ファルデリア王室御用達の菓子屋、ヘディンズ&サンズのチョコレートだよ! "ばれんたいん"の日に、気になるあの人の心をがっちりキャッチ! 手作り用もあるし、美味しいボンボンだってあるんだよっ!」
 一通り朝市を巡って、イレースさんは首をひねった。
今日の朝市はやたらとお菓子屋さんが多いのが不思議だ。
「どうして"ばれんたいんの日"にチョコレートなのかしら?」
 イレースさんの手には可愛くラッピングされたチョコレートの包みが載っていた。
「あとでお茶のときに一緒に食べましょうね」
 やったぁ!

イメージ画へ目次に戻る次へ