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そこに愛はあるか 2


「ただいま帰りました」
 店の扉のベルがカランと鳴って、いっしょに「おう、お帰り。早かったな」と番台で書き物をしていた店長が顔を上げた。長い金の髪のひと房が揺れて、店長の方を滑り落ちて番台に乗っていた丸められた羊皮紙の山から一巻きを落ちる。
「おっと」
「それくらい、私が拾いますよ」
「いや、いい」
 店長が指を見えない糸を引くように動かすと、落ちた羊皮紙がつり上げられるように元の場所に戻る。
 こういうのはモノグサというらしい。
店長は魔法道具に魔力を吹きこむけど、その吹き込む先の魔法道具がないとこうしてちまちま魔力の無駄遣いをする。
私が暖炉に近づくと指を鳴らして、燃えていた火の勢いを強くしてくれた。
今日はよっぽど暇らしい。
「今日はイレースさんといっしょに行きましたよ。後でお茶を飲みましょうって、言ってました」
「へえ。わかった」
 そう返事すると、また店長は羊皮紙にがりがりと何かを書きこみ始めた。けれどすぐにペンを置いて、大きくため息をつくようなあくびと伸びをする。
「おい、オルヴ。今、俺が暇そうだと思ったろ」
 うぇ、なんでバレたんだろ?
店長を見ると、ちょいちょいと指先だけで手招きされた。
怒られるのかな……?
でも、いつも鋭い亜麻色の目が、なんだか疲れたような感じだ。
目の下にクマがある。
「店長、お疲れですか? あったかいお茶でも淹れますか?」
「まあいいから、いいから」
 私が恐る恐る近づくと店長は姿勢を正した。
そして羊皮紙の山から一巻き両手で取り出すと花束を差し出すように私にそれを突き付けた!
「これ、受け取ってください!」
 え? 
「お願いしますっ!」と店長はずぃっと羊皮紙を押し付けてくる。
え? え?
あれ? なんか……なんだか、受け取らなきゃいけない気分になってきた!
「あ……はいっ」
 その気分のままに受け取ると―――どくんっと胸が押されたように苦しくなった。
喉の奥が苦しいような、どくどく心臓が動くのが止まらない。
なんだか耳が熱い。それからなんだか耳がキーンとする感じ。頭がぐらぐらする。
どうしよう、なんだかとても恥ずかしい!
「て、店長……っ、なんだか、なんだか変です!」
 店長を見ると、胸が苦しいのがもっとつらくなった。
なんて綺麗な金色の髪だろう。太陽の光のように輝いて、思わず手を伸ばしたくなる。
すっとした鼻梁に、涼しげな口元に浮かんだ満足げな笑み。
あれ!? 店長ってこんなにかっこよかったっけ!??
「はい、ストップ」
 その細く長い指は私の手から羊皮紙をついばむように取り上げた―――ら。
苦しさが収まった。
耳も変じゃないし、頭のぐらぐらも収まった。
なんで恥ずかしかったのかさっぱり分からない。
そして、店長を見ても―――やっぱりいつも見慣れた店長だった。
疲れてはいるけど鋭さがある目を細めて、満足げにうなずいている。
「新作魔法道具"ラヴ・レター"。どうだ? コンセプトは"簡易媚薬"。この羊皮紙を渡された相手は、渡してきた相手に疑似的な恋心を抱くって寸法だ―――」
「―――寸法だ、じゃないわよバカっ!」
 バコっと店長の頭に小さな包みを投げつけたのはイレースさんだった。
ああ、さっきのチョコレートの包みだ。
店の入り口から的確に店長に投げつけたコントロールの良さはすごい気がする。
「朝っぱらからバカやってんじゃないわよ! オルヴちゃんになんてことすんのよっ!」
 イレースさんがギュッと私を抱きしめる。
「イレース、いつの間に……」
「あんたが、オルヴちゃんにそれを渡したところは窓の外からも見えたわよ。あんたね、そんな変なもんをオルヴちゃんに渡して、変な副作用が出たらどうするつもりよっ!!」
「一応、"媚薬"でも"簡易"だから3時間もすれば効果は消えるし、経口摂取じゃないから毒性もほぼ無いに等しいから大丈夫な―――」
 その言葉に、イレースさんが火を吹くかのごとく吠えた。
「魔法薬においてあんたの"大丈夫"は当てにならないのよっ! やるなら、解毒剤をきちんと作ってからっって何回あたしが言ってると思ってるのっ」
 普段温和なイレースさんが珍しい……。
「わ、分かった。分かったから落ちついて話そう。まず、これは魔法薬じゃなくて、羊皮紙に描かれた紋様に迷彩された魅了の魔法が手渡す時の言葉をきっかけに発動す―――」
「うるさい」
「はい」
 勝負あり。
イレースさんは私を離すと、「お茶にしましょ」と微笑んだ。
「オルヴちゃんはまずコートを脱いで、靴下を換えてからね。リッシュはとりあえずその物騒な羊皮紙の類をしまってからよ」
 イレースさんに言われて、私はまだ外の格好をしていたことに気がついた。
濡れた靴をと靴下を暖炉のそばに干しながら、店長のほうをうかがうと、店長は口をとがらせながら番台を片づけていた。
それにしても媚薬効果のある羊皮紙って、ちょっと怖い。


 片づけられた番台でチョコレートの包みを開くと、ほわっと甘い香りが漂った。
ころころと転がり出てくる丸いチョコレートは、白い粉砂糖をまぶされてとてもかわいい。
「おいしそうね〜」
 イレースさんもにこにこと笑って、カップにビワの葉茶を注いでいる。
「おいおい、オルヴにまでチョコレート食わせるのか」
 追加の椅子を持ってきながら、店長がそんなことを言う。ひどいなあ、私もチョコレートは好きなのに。
「あたりまえじゃない。お菓子だもの」
「お菓子だと言っても、チョコレートは貴族たちに"媚薬"として使われてきたんだぞ、紅茶やらコーヒーやらと一緒に」
「だからって、さっきの魔法道具とチョコレートを一緒にしないでよね。大丈夫よ、あたしだって、もっとオルヴちゃんより小さい頃からチョコレートや紅茶を飲んできたけどまったくもって問題なし! たとえ媚薬だとしてもあんたの妖しい薬よりずっとまともなんだから」
「おい、お前とオルヴを一緒にするなよ」
「あんたってば、過保護なんだか外道なんだかよく分からないわー」
 店長たちがぎゃあぎゃあ言ってる間に、用意はできた。
それぞれが席についてチョコレートを選んだり、お茶のお代わりをもらったりしながらの楽しい時間だ。
私は丸いチョコレートを半分かじると、その優しい味とゆっくり溶けていく感触を味わう。
こんなにおいしいものを、一口で食べてしまうのは勿体ない!
店長たちは今の街の情勢とか、なんだか難しいことを色々話している。
「それで今日は城下ソアルのヘディングス&サンズがわざわざこっちまで来て、チョコレートに力を入れて売ってたのよね」
 イレースさんは今朝見た朝市の様子を話した。
「まあ、お前のようなカモがいれば売りにも来るだろ」
「あ、そう。リッシュは食べなくていいのよ、チョコレート。わざわざカモになりたくないものね」
「あっ、なりたくないとは言ってない!」
 自分の前から片づけられかけたチョコレートを押しとどめ店長があわてて弁解している。
「そうじゃなくて、そのヘディングス&サンズがそうやって需要を作り出したのはいい手だってことだ。需要が少なければ供給も少なくなるが、需要が多い時にタイミング良く供給すれば売れる。さらに、需要が多い時に、供給量を少し減らせばそれは高値で売れるってことだ。しかも味に関してはさすがに王室御用達と言えるだけはあるし、うまい手だな」
 ……うちの店で考えると、魔法道具の質は悪くないと思う。
他を知らないけど、冒険者には良く売れるし。
だけど一般人にはなかなか売れないから需要と供給で言うと、需要の数が少ないんだよね。
需要の数が少ないと、供給量も少ない。
でも生活していかなきゃいけないから、自然と魔法道具の値段は上がる。
一般の人も買ってくれるのはそれなりに安くできるんだけどねえ……。
で、今回のイレースさんの温石を考えると、需要がないのが一番の問題だ。
でもイレースさんは温石を売りたい。
需要がないなら作り出すのがいい手―――とは言っても、どうすればいいのかな……。
「なんだかみんな口ぐちに"ばれんたいん"て言ってるのよ。なんなのか知ってる?」
「"ばれんたいん"?」
 店長はちょっと首を傾いだけど、「ああ」とうなずいた。
「"戦闘馬連隊員の日"のことか」
 え? なにそれ。
イレースさんも目が点になっている。
「古の話でな、チョコレートの原材料のカカオを輸入するときに戦闘馬連隊が警護にあたっていたことがあったんだ。カカオは今でこそ南のサマナスで取れてファルデリアでも簡単に輸入できるようになったけど、昔はそれこそ別の大陸から持ってこられてな。カカオが1つ、同量の金と交換されてた時代だった。すなわち、カカオを運ぶのは金銀財宝を運ぶのと同義。だから戦闘馬の連隊が警護して王侯貴族に届けられていた」
 このチョコレートにそんな歴史が? まじまじとチョコレートを見る私をよそに、店長は滔々と続ける。
「ある時のこと。そのカカオを横取りしようと考えたよその貴族があって、国境付近で山賊を装って連隊に襲撃をした。当然力と力のぶつかり合いだ。双方が多く傷つき倒れたが、戦闘馬連隊の1人が自らは致命傷を負ってはいたがカカオを無事に届け、事切れた。彼には恋人がいた。そこで時の王は、自分が食べるはずだったチョコレートを、その連隊員の恋人に贈り、ねぎらったのが"戦闘馬連隊の日"の始まりと言われている。ちなみに、その連隊員の名前が"バレンティヌス"」
「ウソくさ」
 イレースさん、ばっさり。
「『始まりと言われている』っつっただろ。真偽は知らん」
「絶対嘘だって、それ。凄まじいこじつけだわ」
「じゃあ、姫君とチョコレートを賭けて戦闘馬連隊の隊員たちが一騎打ちをした日ってことでいい。勝者が両方を手に入れる」
「え? 何、さっきの長いのもあんたの創作なの?」
「古の割とどうでもよさそうな文書に書いてあった」
「それ騙されてない?」
「古文書が常に真実を書いているとは限らない」
「うわ、ひどい」
 確かにひどい。
「でも……、そうよねー」
 イレースさんは一際大きなため息をついた。
「ヘディングスはその怪しげな古文書から"馬連隊員の日"を思いついたのだからうまい方法だわ。もうちょっと脚色すれば、恋する乙女に受け入れられそうな気がするし」
 そう―――かなぁ?
「うちの温石、何かにこじつけられないかしら……」
 うーん、と2人で頭をひねっていると(店長はチョコレートを頬張っていた)店の扉のベルがカランカランと来客を告げると同時に、冷たい風がひゅうと吹き込んできた。
「あー、中はあったかいなあ」
 鼻を赤くして飛び込んできたのは、城下ソアルの警備第五隊のカナン隊長だった。
大きな体にコートを羽織ってその上からフード付きマントを身につけていても、やっぱりソアルからオレトまで来るには寒かったみたい。皮の手袋でごしごしと顔をこすっている。
「おお、これはこれはお揃いで。お邪魔するよ」
「あら、カナン」
「イレース、君は今日も綺麗だね」
 イレースさんとカナンさんはお互い頬を近づけてのあいさつをする。その間に、私はちょっと席を立った。
「やあ、リッシュ。頼んでたのを取りに来たよ」
 カナンさんはくりっとした目で微笑んで両腕を広げた―――が、店長はそこに飛び込まないようにしてカナンさんの肩を叩き、「もちろん」とあいさつをした。ちょっとカナンさんが残念そうだったのは言うまでもない。
私はカナンさん用にカップを持ってきて温かいお茶を注いだ。
「やあ、オルヴちゃん! 背が少し伸びたんじゃないか?」
 背が伸びた、と言われて嬉しくないわけがない。思わず笑顔になってしまう。
「どれ、おじさんのとこにおいで」
 う。
カナンさんは両腕を広げた。
行けば抱っこされるのは分かっている。
カナンさんが嫌いじゃないけど、苦しいぐらいぎゅうっとされるのと、硬いひげでじょりじょり頬ずりされるのはちょっと苦手だ……。
カナンさんは、悪い人じゃない。
むしろ子供が大好きないい人だ。
でも、じょりじょりは嫌……。
そんな風に戸惑っていると、カナンさんはやっぱり残念そうな顔をした。
……行けばよかったかな?
イレースさんにチョコレートを勧められて、カナンさんもそれを「じゃあ、ちょっとだけ」と食べながらお茶を飲む。
その間に店長はカナンさんに頼まれていた魔法道具を持ち出してきた。
「これでどうだ?」
 店長が持ち出してきたのは、羊皮紙の束だった。
カナンさんが広げると、四隅に紋様が描かれているだけのまっさらな羊皮紙で、ほかに変わったところはない。
ぱっと見た具合じゃ、さっきの“ラヴ・レター”と大差がない。
「"強制命令受諾書"の見本10巻き。うちで注文してくれれば、これを月50枚で銀貨400枚で受ける」
「うん、ぱっと見た具合になんの変哲もないからいいね。使い方は?」
「指定された通り、キーワードとして誰それの"権限により""命じる"と言えば、魔法が発動して、強制命令を受諾させるように働きかける。効果時間はそれこそ短いが、これに抗うのはちょっと手間だ」
ふむ、とカナンさんはうなずいた。
「だが、これを悪党どもに盗まれたりしたら危険じゃないか?」
「そのあたりは希望するなら魔法を追加して特定の相手だけに効くようにとか、特定の命令のみ、特定の使用者のみ、なんかも出来ないわけじゃない。まあ、こんな道具なんざなくて済むのが一番なんだがな」
「それを言われちゃあ耳が痛い。おれもこんなのは無い方がいいと思ってるけど、非合法娼館なんかはのらりくらり逃げようとするから、使うはめになるんだ」
その会話を聞いていたイレースさんがぽつりと「なんだか、本当に怖い道具ね……」とこぼす。
「ああ。本当に危険な道具だ」
 店長はそう言いながら、さらさらと強制命令受諾書に何かを書きこんだ。
「オルヴ」
「はい?」
「"魔法道具屋『だんでぃ・らいおん』店長リッシュ・ライオンの権限により"店員オリヴィア・ジェニアンに"命じる"。『客人カナン・コルドに挨拶し、親愛の情を示せ』」
 ―――命令は絶対也。
そんな言葉が冷水をかけられたように頭の中へ注がれて体中を駆け巡る。
カナンさんに、あいさつをしなくっちゃ……っ!
 しなくっちゃ……っ!
私はカナンさんの前に行き、深々とお辞儀をした。
「カナンさん、ようこそいらっしゃいました」
「え? あ、うん?」
 戸惑った表情のカナンさんの手を取り、私はキスをした。
「と、まあこんな具合だ」
ぶつり、と操りの糸が切れたかのようにはっきりと聞こえた店長の声で気がつく。
カナンさんが今まで見たことがないくらい困った顔をしている!
私、今、何をしたんだろう!?
「わ、わ、わ? ごっ、ごめんなさい!?」
「いや、うん。大丈夫、大丈夫。うん、まあそういう道具だしね」
 謝り続ける私に、カナンさんは背中を叩いて励ましてくれた。
「あたし、こういうのは出来れば無しにしてもらいたいわ。世に出しちゃだめよ」
 イレースさんのつぶやきに「全くだな」と店長がうなずく。
「あんたが言うな!」
とりあえず、イレースさんは店長に鉄拳制裁をくらわしていた。
 騒がしいお茶の時間だった。

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