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ウソつきリジィ 1


「アークウァード、アークウァード!」
 違うよ。違う。
僕はオークァードだよ。
アークウァードなんて名前じゃない。
「うん、分かったよ、アークウァード」
 リジィはずっと僕をアークウァードと呼び続けた。
そう、ずっと。ずっと。
違うったら!
馬鹿なリジィ。
かわいそうなリジィ。
リジィはこの村に捨てられた。
小さな神殿の前に捨てられた、大人にならない奴だった。
ずっと子供のリジィ。
馬鹿なリジィ。


 リジィはいつも神殿の水屋の前に居たから皆に「御水屋の番人」と呼ばれていた。
そう呼ばれるとリジィは誇らしげに背中をピンと張って締まらない笑顔を浮かべる。
本当は水屋に番なんて要らないから、皆こっそりその言葉を「馬鹿」の代名詞として使っていたけど、リジィはまるでお姫様のように手を振って答えたのだ。
「アークウァード、アークウァード!」
 どうしたことか、リジィは僕をいたく気に入って僕を見るたび誰よりも盛大に手をふる。
「遊ぼよ、アークウァード。何して遊ぼか?」
 リジィの遊びは隠れん坊に、木登り。
ダンスもあれば、鬼ごっこもあった。
ブカブカの僧服を着て、よれよれにして着っ放すリジィはいつも泥だらけ。
だから、風呂に入れようとするグレッタ神官が大嫌いだった。
「着替えましょうね、リジィ」
 なんて、どんなにグレッタ神官が優しく言ってもリジィは「いやだ、いやだ」と言って喚きまわって逃げ回った。
確か僕が5才位のときだったろうか。
いつも通り逃げ回ったリジィは一度、堆肥に落ちたことがあった。
そのときほどリジィのことが大嫌いだと思ったことは無い。
遠巻きに見ていた僕を見つけ、堆肥にまみれた髪を振り乱して僕にしがみついたのだ。
涙と青っ洟と堆肥でぐちょぐちょの顔を僕の服でぬぐったのだ。
これから叔母の結婚式で町に行くというときだったのに。
「アークウァード、アークウァード! 助けて、グレェタ神官がリジィをいじめるの」
 グレッタ神官は困り顔でリジィをなだめようとしたけど、リジィは僕にしがみついたまま泣き喚き続けた。
僕だって泣きたかった。
リジィなんか大嫌いだと叫んで殴りたかった。
でも、グレッタ神官が目の前に居たから、そんなことは出来なかった。
「ねぇ、リジィ? オークァードが困っていますよ」
 グレッタ神官がそう言って、やっとリジィは僕を解放したのだった。
「ごめんね、アークウァード」
 リジィは涙を目に一杯にためて謝った。
許してやるものか、と僕は黙り込んだままリジィを睨みつけてやったが、何故か今はリジィの緑色の瞳しか思い出せない。
グレッタ神官に手を引かれ、僕のほうを振り返り振り返り、のろのろとリジィは神殿へ戻っていった。
僕が泣いたのは二人の後姿が見えなくなった後だった。
わぁっと自分でもどうしようもないほど泣き出したがどうして泣き出したのかが分からない。
ただ、リジィの緑色の瞳が記憶のそこによぎるだけだ。
 次の日はやっぱりリジィは何も無かったように僕に手を振って駆けてきた。
いつもと違うのは、髪が柔らかに光を弾いていて、石鹸の匂いが立ち上るピンピンの僧服だったことだ。
どうせいつも通り今日明日にはどろどろにしちゃうくせに。
一度、リジィに言ったことがある。
そんなに嬉しそうな顔をするなら、いつもグレッタ神官の言うとおりにすればいいのに。
そうしたらリジィはけろりとして答えた。
「アークウァード、遊ぶの嫌い? リジィは好きだよ。
キレイにしてたら汚れちゃうよ。
毎日毎日とっかえてたら、なんも着るものなくなっちゃうよ。
だから、リジィはこのまんまでいいの」
 嬉しそうに笑って、僕の頭を撫でながら続ける。
朝、目が覚めたらお祈りするでしょ?
お祈りしたら、ご飯食べて。
ご飯食べたらすぐお外に行けるじゃない。
お外に行ったらアークウァードが居て。
アークウァードが居たら一緒に遊んで。
ね、お洗濯したらお服なくなっちゃう。
 そんな汚いリジィだったけど、小さい頃の僕にとってはそれなりにいい遊び相手だった。
「隠れん坊しよう。アークウァード、リジィを見つけてね」
 リジィが隠れるのはいつも決まって祭壇の下だった。
いつだったかリジィが隠れている間に結婚式が始まってしまい、式の途中、異変に気づいたリジィが大声で泣き出したこともあった。
おかげで今日はやめようよといった僕まで怒られた。
「また遊ぼね、アークウァード」
 怒られて反省したと思ったのにリジィはくすんくすんと鼻を鳴らしながら言ったのだった。
リジィは隠れん坊の間、夢を見るらしい。
その夢の中でリジィは物語に出てくるようなとらわれのお姫様。
僕が助けに行くのを待っている。
「ね、すてきでしょ」
 僕はそんなリジィが好きだったけど、嫌でたまらなかった。


「アークウァード、今日は遊べる?」
 リジィは僕が学校に行くようになってそう言うようになった。神殿で最低限の読み書きを習っていた頃に比べ、町にまで行くようになったこの頃には他の子とも遊ぶ時間は格段に減っていた。
「アークウァードは遊ぶの嫌い?」
 リジィは聞き分けの無い子供みたいに小首を傾げる。
「べんきょなんか止めて、リジィと遊ぼ」
 僕よりも四歳ほど年上だったリジィは学校に行く事は無かった。
もっとも、農家ではやはり子供すら大切な働き手だから、僕のほかに町の学校に行く子は居なかったが。
遊べないよ、と言うとリジィは怒ったように頬を膨らませる。
「遊べないならべんきょしちゃ駄目!」
 と何度かはそう泣いた。
一ヶ月もしたらさすがにおとなしくなったけれども決して聞き分けよく僕の話を聞いたからではなかった。
町の神殿を司っていた神官が倒れたおかげで当面の代理でグレッタ神官が町に出向くようになったのだ。
神殿のものとはいえ、かなりガタの来た荷馬車に乗ってリジィとグレッタ神官は町に頻繁に来る。
「アークウァード!」
 ボロ荷馬車から目ざとく僕を見つけ手を振る。
「遊ぼ!」
 荷馬車から飛び出してくる泥の塊のようなリジィを僕の級友たちは笑った。
皆がリジィのまねをして僕を「アークウァード」と呼び始め、リジィをからかい、僕をからかい始めた。
「リジィ、アークウァードと結婚するんだろう」
 一人がそうはやし立てた。
リジィは目を輝かせたが、睨み付ける僕を横目で見るなり「えへぇ」と口を横にい引いて微笑み返しただけだった。
余計にリジィは町の子供たちに馬鹿にされ、結果として僕まで馬鹿にされることになった。
だから、僕はたとえリジィが荷馬車から手を振っても突っぱね、グレッタ神官が「一緒に帰りましょう」と言っても歩いて帰るようになった。
 町の学校は僕にとってあまり面白いものではなかった。
僕の家は村では一番裕福とされていたが、町の学校では一番の貧乏だと知ってしまった。
村の皆は、学校に行ける僕が賢いと思っていたがそれはまるで違う。
町の学校ではまるで出来ない部類に組み分けられた。
悔しくて、こんな思いをするぐらいならば神殿で習った読み書きだけで十分だと思ったけれども後には引けなかったのだ。
「オークァード、ちょっと来いよ」
 少し与えられた休暇に山のような宿題を片付けなくてはならない僕にそう声をかけてきたのはグレンだった。
「お前が町に行ってる間に子馬が生まれたんだ。もう売っちまうから見に来いよ」
 人懐こいグレンは僕の一番の友達だった。
だから、分かってくれると思ったのだ。
僕は、宿題が多くて見に行けないと断った。
ちょっとした小言が来るだろう、と予想していたら案の定、何だよ、とグレンがそばかすだらけの頬を膨らませた。
「すこしはのんびりしたらどうだ」
 ここまでは僕にも予想はついた。それなのに
「せっかく学校に行ってんのに、そんなくだらない奴になって帰ってきたのか? ああ、つまらねえ、つまらねえ。止めちまえよ、町の学校に行くのなんて」
 まるで頭を殴られたように真っ白になった。
僕が学校に行けるとなったとき、手を叩いて喜んでくれたのはグレンだったのに。
気がついたときには僕はグレンを殴りつけていた。
知ったような口を利くなと、まるで狂ったように叫びながら。
「じゃあお前は何を知ってるんだよ、オークァード!」
 グレンは僕を殴り飛ばした。
まるで勝ち目がなかった。
身体を動かすことといえば歩くことしかしなかった僕に、農作業を手伝っているグレンを負かす力などなかった。
馬乗りになったグレンは僕をがむしゃらに殴った。
怖かった。
殺されると思った。
乾いた土と口の中が切れて出た血が混ざってじゃりじゃりと苦しかった。
「だめ、だめ、グーレェンっ! アークウァードが死んじゃう、やだよ。グレェンだって悲しいよ、リジィも悲しいもんっ」
 リジィは泣きながら僕からグレンを引き剥がしてくれた。
グレンは地面につばを吐き出した。
「弱虫が」
 畜生め、とグレンは呟いて去った。
「大丈夫、アークウァード?」
 リジィは相変わらず汚い格好で僕を覗き込んでいた。
「神官様たちのとこに行こう。おまじないしてもらお」
 リジィは僕の手を引っ張って神殿に連れて行った。
傷を洗われ、薬を塗り、魔法をかけてもらったけれど、血こそ流れなくなったがちっとも痛みも傷も引かなかった。
「何を心に持っているのです? 後悔ですか、怒りですか?」
 グレッタ神官は僕の顔に湿布を取り替えながら言った。
僕は答えなかった。
言葉に出来ないくらい後悔していた。
グレンはまるで余裕をなくした僕を喜ばせようとしてくれたのだ。
それを僕は殴りつけて拒否した。
グレンは、勉強が僕よりも好きだった。
家さえ貧しくなければ、町の学校に喜んで行ったはずだった。
「謝りたいと望んでいますか?」
 僕は頷いたが、グレッタ神官は悲しそうな静かな声でグレンのことを教えてくれた。
グレンの家はとうとうその子馬とグレンを手放さなくてはならなくなっていたらしい。
本当なら子馬だけで済むところだったはずだが、子馬は足が悪く、二束三文で買い叩かれた。
だから、グレンは城下ソアルに行くという。
僕が手当てを受けている間、もう昼には馬車で行ってしまったと。
ああ、ソアル。なんて遠いのだろう?
ここからでは五日は馬車で揺られるはずだ。
今なら走って追いつける。
そんなに遠くには行ってないはずだ。
しかし走って追いつきたくても今の僕は歩けない。
グレンに殴られたダメージが身体に回ってしまっていた。
 リジィは部屋の隅で僕を見ていた。
グレッタ神官が薬を取りに席を外したとき、リジィは僕の背後に来ていた。
「かわいそね、アークウァード。グレェンと仲直り、したいよね」
 僕は何度も頷いた。
涙が後から後からこぼれてしょうがない。
「そうだよねぇ……」
 リジィはのんびりと言った。
それに無性に腹が立って僕はリジィに出て行けと枕を投げつけた。
「うん」
 リジィは何か少し考えたふりをして出て行った。
その夜、リジィはどこにも居なかった。
村人総出で、神殿の人たちも全員で牧草地から近くの森、麦畑まで探したが居なかった。
グレッタ神官は目に涙をためながら僕を見た。
「どうして、どうしてそんな事を―――? リジィにどうして、出て行けなどと言ったのです? リジィは小さな子供と同じだということをあなたが一番分かっていることでしょう……?」
 次の日から僕もリジィを探す人の群れに加わったが三日後、リジィはそれこそ泥の塊になって帰ってきた。
「アークウァード。あのね、グレェンもごめんねだって。グレェンはソアルに行くから、アークウァードはえらい学者さんになって、ソアルにおいでだって。ソアルに来たらちゃんと仲直りしよって」
 飲まず食わず馬車を追って走っていった馬鹿なリジィは泥だらけの顔をこすりこすり笑っていた。
大きな音を立てて腹の虫を鳴らし、グレッタ神官が持ってきたパンを齧りながら村長から叱られても笑っていた。
「良かったね、アークウァード」
 僕は泣いていた。
それも初めてリジィに抱きついて泣いていた。
ポンポンとリジィは初めて年上らしく頭を撫でてくれた。
リジィはやっぱり汚くて臭かった。
それでも温かくて、僕はそのまま眠っていた。
気がつけば僕もリジィと変わらないぐらい汚い格好だったのだから気にすることもなかったのだ。

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