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ウソつきリジィ 2


 時が経つ。まるでテンポの速い円舞曲のように。
大人になる僕は大人にならないリジィと違ってますます時の流れに逆らえなくなっていく。
しかし、それが誇らしくもあり、リジィと遊べなくなっていく立場に胸を張っていた。
リジィは相変わらずの汚らしい泥だらけの格好でにこにこと水屋の番をしていた。
手紙は大抵、民家には直接届かず、神殿にまとめて送られてそれを受け取るのが小さな村での習慣だった。
グレンからは時々手紙が届く。
インクが時々滲んだり、ペン先が羊皮紙に引っかかったりとそんなに綺麗な文字ではないが、城下の喧騒まで伝わってきそうな文章や奉公先の鍛冶屋での出来事などが僕の心を楽しませてくれる。
その手紙をリジィは僕に嬉々として持ってきてくれる。
僕がグレンの手紙を読み上げるのを楽しそうに待っている。
だけれども、あの時、グレンとの仲を取り持ってくれた礼をずっと言いそびれていた。
なんとなく、ばつが悪かったからだ。
グレンは僕にソアルに行けるような学者になれと言った。
それなのに僕はソアルに行けるほどにはなれず、村の子供たちに神殿で勉強を教えているだけだからだ。
それに、グレンもソアルに来いとは書いてこない。
いつか、グレンに会えたとき、リジィに礼を言おう。
そんな風に考えていた。
そんな生活が始まってから数年後、僕はリジィではない他の娘に恋をした。
この地方の貴族の娘、セリーア。
彼女は立ち居振る舞いの勉強として神殿に住み込んでいた。
セリーアは今まで見たことが無いほど美しかった。
彼女の全てが僕を捕らえて離すことなど無かった。
セリーアのことを考えるだけで、胸が苦しくなる。
これが恋なのだ、と気づくと自分で夢を見ているのでは、と疑うぐらいだった。
何度セリーアに思いの丈を打ち明けようと思っただろう。
だけれども、僕にはどうしても出来なかった。
香り高い薔薇が咲き誇るようなあの顔を侮蔑の色に染めることを考えるだけで奈落に落ちるような錯覚を覚えたからだ。
僕はリジィにだけ、彼女への想いを打ち明けた。
「うん、うん。セリィヤ、きれいだもんねぇ」
 リジィはそう言って頷いてくれた。
「うん、セリィヤ、きれいだもん。うん」
 ある日、リジィは僕に言った。
「あのね、セリィヤがね、アークウァードのこと、好きだって。良かったね」
 僕は驚いてリジィに根掘り葉掘り尋ねた。
どうしてリジィがそのことを知っているのか。
リジィは僕の言ったことを勝手に彼女に伝えてしまったのかどうか。
「あのね、セリィヤがね、ここにお水を汲みに来たの。一緒にいたのはね、マーティアとか、レーミィエとかね、後――――」
 リジィの話では村の娘達と彼女が水屋で話していたときに言ったらしい。それをリジィは聞いていたのだ。
まるで、天に舞い上がるとはこのことを言うのだろう。
次の日、僕は彼女に交際を申し込んだ。
「ええ、オークァード。喜んで」
 信じられなかった。
全てが輝いて見えた。
身分もわきまえず、僕は彼女を抱きしめていた。
全てがセリーアを中心に回り始めて、彼女のためならなんでもしようとまで心に誓った。
 今考えれば、僕はなんと言う愚か者だったのだろうか。
貴族達が何のために、自分の娘を神殿に送るのか。
何故、立ち居振る舞いを叩き込むのか。
当時の僕は理解していなかった。
何も考えちゃいなかった。
 別れは突然で、あっけなく、残酷に僕だけを引き裂いた。
立派な馬車が神殿の前で止まっていた。
セリーアの家の紋章ともう一つ、金で出来た紋章をつけていた。
見慣れた僧服でなく、レースやリボン、宝石に飾られた上質のドレスを身に着けた美しいセリーアが馬車に乗り込むところだった。
僕はセリーアにどこに行くのか声をかけた。
セリーアは何も答えず、無表情で、その代わりに馬子の鞭が僕の背を弾いたのだ。
「農民風情が、姫になんと言う口を利くのか」
 馬子は怒鳴り、再び僕に鞭をくれた。服が引き裂け、皮が弾けた。
セリーアは馬子を止めようとしなかった。
それどころか、楽しげに笑って見ていた。
 確かに僕はセリーアが姫だということを忘れていた節があったかもしれない。
でも、もとから承知で、節度だけは守っていたのだ。
何故、セリーアは馬子を止めてくれないのか。
僕は流れる血と痛みの中でセリーアを見上げた。
「くだらない神殿生活に色を添えて下すってありがとう、オークァード。もしかしたらあなたは私との結婚を望んでいたかもしれないけれど、ごめんなさいね。婚約者が居りますの」
 そしてセリーアは馬子に合図を送る。
優雅に笑い神殿を去る彼女の横には、若い貴族が乗っていた。
僕の口の中には、赤い血の味が広がった。
詰まりそうになる息を抑え、一度家に戻ると、自分で自分の手当てをした。
服を着替え、そして、リジィのところに行ったのだ。
「ねぇ、リジィ。セリーアは本当に僕のことをどう思ってくれているのだろうか?」
 セリーアと一緒にいたときもリジィに繰り返し尋ねた言葉だ。
「大好きよって、にっこりしてたよ」
 一言一句、リジィは繰り返した。
「リジィ。僕は彼女に結婚を申し込もうと思うんだ。どうだろう?」
 初めて尋ねる。
「すてきだね、アークウァード! とてもすてきな考えだね!」
 リジィはその緑の瞳を輝かせた。
「そしたら、お花がめいっぱい必要だね。すてきだね、アークウァード」
 何の花がいいかなぁ。
白いお花、真っ白なバラ、スノウ・ティアーがいい。
そうそう、フェアリエ・ドレスもいい。
赤いのも、青いのも。
黄色いのもすてきだねぇ。
「そうだね」
 僕は頷いた。
「できたら珍しい花がいい。彼女は貴族様だから。たとえば、崖の上に咲く、エスロォメルの花のような」
「そうだねぇ。エスロォメルゥはきれいだもの」
 うん、うん。とリジィは頷いた。
ゆっくり、ゆっくり、幸せそうな顔をしながら、リジィは頷いたのだ。


 翌日。静かで小さな村は騒然とした。
驚きと、嘆きに彩られ、沈黙は引き裂かれた。
村の中を流れる川に若い女の死体が一つ上がったのだ。
真っ白なエスロォメルの花を両腕一杯に抱え、花といっしょに流れてきた。
眠る女の優しげな姿と、不思議な、おとぎ話のような死に様に村人は皆息を飲んだ。
誰もこの優美な女性がリジィだとは思わない。
ようやく現実に帰ったグレッタ神官がリジィと気がついた。
グレッタ神官の悲鳴が、村人を美しい夢からたたき起こした。
そうしてようやく、リジィの葬式が始まった。
エスロォメルの花を抱えたまま姿があまりにも美しくて、リジィはそのまま、古びてよごれた僧服のまま祭壇に乗せられた。
かつてリジィがよく隠れたあの祭壇で、リジィのための葬儀が始まる。
 

 今、僕の手元に一通の手紙がある。
リジィが死んで、そのあまりにも少ない持ち物を整理していたグレッタ神官は一通の手紙を持って来た。
「きっと、あの子はあなたに手渡すつもりだったのでしょう」
書きかけた手紙。
見慣れた『グレン』からの手紙が僕の手の中にある。
『よう、オークァード。元気か? 結婚したんだってな。何よりだよ。
俺もな、こないだやっと親方から誉められたんだぜ』
 馬鹿なリジィ。
お前はいつまで僕をだまし続けるつもりだったのか。
いつから僕をだましていたのか。
夢ばかり見ていたリジィ。
夢から叩き出された僕。
お前は僕が頬を濡らす理由なんて知りもしないのだろう。
かわいそうなリジィ。
ずっと子供でいるしかない、哀れなリジィ。


エスロォメルの花の咲く場所で
ウソつきのリジィは静かに眠っている。


終    Fin

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