川 3
三、 夜の魚
街灯がほとんどなく、暗い夜道は月が道を照らしてくれる。
白く浮かび上がった舗装されていない道をじいちゃんと二人歩く。
昼の熱気はどこへやら、川風は涼しく、おけらが鳴いていた。
釣り竿で遊び半分に草むらを薙ぐと、青白い蛍の火が明滅しながら空へ舞い上がる。
竹やぶが黒々と、深い森のように浮かび上がっていた。
「ここで良かじゃろ」
あの台風のすぎた後とはまるで違う場所のように、川の水は空を映して深く黒く、星と月に照らされて白い波をたてていた。
風に消されかける静かな波音が、柔らかく響く。
魚が白い腹を見せて水面を跳ねた。
僕とじいちゃんはそっと釣り糸を垂らす。
「お前な真刀を覚えているか?」
僕は頷いた。
「こげな夜じゃ。真刀はちょくちょくおいを引っ張りだして、ここに泳ぎに来たが(来たよ)」
「じいちゃんも泳いだの?」
「うんにゃ。泳がんかった。おいは泳げんとよ。
でん、真刀は泳ぐのが巧かった。里ん中で誰よっかん巧かったよ。
ほら、今跳ねたいお(魚)のように、どげな水でだって泳ぐんは巧かった」
真刀は、息の落ち着く夜に泳ぐ事が多かった。
もちろん、まだ子供だった頃は他の子供達に混じってこの川でよく泳いでいた。
どんな早瀬ですら一度たりとも溺れず、「魚の生まれ変わり」とまで呼ばれたほどだった。
病が悪化してからは子供達と泳ぐ事はなくなった。
夜泳ぐ事は祖母の絹がうるさかった。
それでも真刀は和正を引っ張ってここで泳ぎにきたのだった。
「俺は泳げないよ」
「知ってるよ。あんたが泳げないのは」
真刀は軽やかに笑うと着ているものをするりと脱いで水の中に音も無く飛び込むのだった。白い背が月に光る波を受けて銀の鱗をはやしたように見える。
それを見るたびに真刀を魚の子ではなく、龍の子だと思った。
自分とて男だ。その前でそうやって無防備に水に入るなんて、と一度ならずとも言った事がある。
真刀は形のいい唇の端を上にきゅっと上げると小さく笑うのだった。
「私を抱けるものなら抱いてみなよ。その前に私はあんたの来れない、いや、この里の誰一人だって来れやしない早瀬に逃げ込むから」
もちろん、そんな事はしなかった。
木の下の石に腰かけ、真刀が泳ぎ飽きるまで見ているだけだった。
真刀は美しい女だった。
だが、見ていても情欲は沸かなかった。
空に天女が居るならば、真刀はきっと天女が降りてきたのだろう。
汚れた手で触ったら、きっと瞬く間に溶けて天に帰ってしまう。
そう思ったのは、真刀がいつも「天の川を泳いでみたい。それにはあたしの身体はおもいだろうけど」と笑っているからだ。
天なんかに帰したくない。
深い黒髪の流れる白い背を見ながら、ぼんやりとそう思っていた。