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紅き薔薇に祝福を 3


《シャランテーゼの悪魔》
 シャランテーゼの様子はグロリア達がきた三日後あたり、おかしくなった。
丁度、彼女達がきたのは満月の日だったのだ。
変化は日没と同時だった。庭で、植物の手入れをシャランテーゼと二人でしていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
 小さな手で、グロリアの服を引っ張る。
「どうしたの?」
「シャルね、こわぁいの」
「え?」
「こわぁいの……。シャルね、こわぁい……――――」
 それだけを言いつづける。
「どうしたの、シャル?」
 目線を合わせるために、グロリアはしゃがんだ。
そして、シャランテーゼの顔を見て、小さな悲鳴をあげた。
白目のままシャランテーゼは恐いの、と繰り返していたのだ。
ただ、虚ろに「こわぁいの」と繰り返すし、体が痙攣を起こし始めている。
「こわぁいの……」
 ぎこちない、壊れた自動人形のように痙攣し、同じ言葉を言い、動かない。
「アラン、アラン!!」
 力一杯叫んでも、誰も出てこなかった。夕方の喧騒は無くおかしな程に静寂に包まれる。
「こおぉぁああいのぉ」
 小さな手がグロリアの首に伸ばされ、そのまま信じられない力で締め上げられる。
「[空、の怒り、大地の……悲、しみ……。炎の、刃……となり、切り……裂けっ]」
 グロリアの胸に下げられたシンボルから小さな炎が生まれシャランテーゼの腕をかすめた。
「ぎゃあっ」
小さな少女とは思えない声が、シャランテーゼの口から上がった。
力が弱まった隙に後ろに身を引いて逃げる。
「[空の咆哮、大地の嘆き、風の綱にて捕縛させ給え!]」
シャランテーゼの小さな体が宙に浮いた。
「動いちゃ駄目だよ。体、切れちゃうから……」
グロリアは静かに睨みながら、じりじりと後退する。
アランを呼ばなくては。
この封魔の祈りも補助的で、一時的なものにしか過ぎない。
退魔の札や、封印宝珠等道具のないグロリアにはただ、これだけの反応でも手に余る。
補助的な助けに関しては彼の管轄だ。
元の位置から少し離れた所まで後退した時、シャランテーゼは白目のまま醜く顔をゆがめて笑った。
身体を前後に揺らすと、豊かな蜂蜜色の髪が勢い良く切れて散った。
手をグロリアの居る方角に伸ばし始める。グロリアは奥歯をかみ締めた。
「神々の恩恵に、感謝いたします……」
 封魔の祈りを解く。
彼女はシャランテーゼに背を向けてアランのいる男爵館に全力で走った。
「アラン! シャルが、シャルがぁっ」
 後ろから恐ろしいまでの速さで追ってくる音がどんどん近くなる。
「ねぇ、お姉ちゃん」
 その声が近く聞こえてくる。
空が藍色から黒に塗りつぶされていく。
何かが館の二階窓から飛び降り着地した。
「アイザ・シュ・ェルド、クヴォーア! 大地捕縛!」
 アランの声が響く。地震のような揺れと、地響きが起きた。
グロリアは揺れに足をとられ、転倒する。
「あ痛たたた……」
「ほら、仕上げ」
 倒れた彼女に封魔の札を渡すと、アランは術の集中に入った。
シャランテーゼは土の中に下半身を埋められ、出ようともがいている。
歯をむき奇声を発し、近づけまいとするが無駄な抵抗だ。
「[この者に安息を]」
グロリアは息を呑み、シャランテーゼの額に封魔の札を張った。


 これじゃあ、新月の時にはあたしの手には負えない。
グロリアは昨日の夕方から眠りつづけているシャランテーゼの不揃いの髪を撫でた。
今はシャランテーゼの体の中に悪魔を閉じ込めている状態である。
札の中には、閉じ込める事は出来なかった。
今、この小さな子の中で、何が起きているのだろうか? 
悪魔が自分に明らかな敵意を浴びせているのはひしひしと分かる。
今のうちに祓おうとすれば、再び悪魔はシャランテーゼを襲うだろう。
それでは堂々廻りだ。状況は改善されるばかりか、悪化する可能性が高い。
 背負い袋から神史の教科書を取り出した時、リオンからあの時渡された一巻の羊皮紙が見つかった。
「何か書いてないかな?」
 カサカサとかわいた音が妙な期待を持たせる。
【やはりこれを開いたという事は、何かあったという事ですか。
元気で、無事でいらっしゃいますか? 
生憎、今の時点での私にはあなたがどのような悪魔と対峙しているかは判りません。
大司祭様に申し上げた所、このように渡しておけとの事でしたので、お渡ししておきました。
本当にどうすれば良いか迷った時には次のように書いて神殿に伝書をお送りなさい。

何も、最初から一人の力で悪魔を退治できるものではありませんからね。

私、グロリア・コーウェンは天父地母神殿に援助を要請します。

勿論、場所・形態・危険度のレベル・活動の周期も書くのですよ。
それではご活躍をお祈りしております。
Leon Balzac】
 要請、した方がいいかな……。
自分だけではあまりにも不安で誰かについていて欲しかった。
グロリアは羊皮紙を片手に真白な鳥の羽筆をとった。
伝書鳩と伝書屋ではどちらが早いだろう、と考えながら。


「どうしようかな」
 アランは少女達を見送ると、小さな酒場に入り頬杖をついた。
ご注文は、と聞いてくるバーテンダーに紅茶を頼む。
十五歳から飲んでもいいのだが、昼間から酒を飲む気にはなれないし、酒自体あまり好きじゃない。
「原因ってなんだ……?」
 少女達の話を反芻しても、何も得られなかった。
朝から既に十人以上に声をかけていてはさすがに疲れる。
何も無かった、なんて事はないんだよな。
「どうぞ」
 品のいい白い陶器のカップの中から芳しい香り立つ。アランは反射的に軽く頭を下げた。
「何かお悩み事ですか?」
 昼時の盛りを過ぎた酒場のバーテンダーも暇なようだ。
「え?ああ……」
「一応、カドレルの世情には詳しいですよ。職業柄ね」
 彼はにっこりと微笑んだ。

「半年ぐらい前の、異変ですか……」
 口ひげを引っ張りながらバーテンダーは考える。
「その頃は――『異変』とまでは行かないでしょうが――男爵家の奥方様がお亡くなりになられた頃、ですねぇ……」
「半年前?」
「ええ。その頃のカドレル上げての一大騒ぎといったら、それ位しかありませんね。
旦那様も奥様が亡くなられてから人が変わったように温厚になられて」
「アドル―――アドルフ男爵が温厚でなかったと?」
「いえ、温厚は温厚だったのですが、少しでも意見を申し上げると烈火の如くお怒りになられたので、そう申し上げたまでで」
「へぇ……」
「奥方様の事が大変ショックであられたのだと噂されています」
 半年前、か。
アランは少し冷めた紅茶に口をつけた。
……。
「……。これ、何か入れた?」
「ええ」
バーテンダーは気がついてくれましたか、と嬉しそうに頷いた。
「香りと味を引き立てるように、とブランデーとオリジナル・ウィスキーを少々」
「成る程……」
確かに紅茶には少量、ほんのちょっぴりブランデーを入れる。
が。この場合はアルコールを入れすぎているのではあるまいか。
少々どころの騒ぎではない。
アランは紅茶のお代わりを貰わず、外に出た。


「もっと柔らかくって、丈夫なロープってないの?」
「お客さん、無理言わないで下さいよぉ。それだったら、シルクのドレスでも引き裂いて作ったモノが一番ですってば」
「こっちにはそんなお金ないもん」
「うちではこれが精一杯ですって」
「カドレル一のロープ専門店ローパーズっていう看板に恥ずかしいと思わないの!?」
「うッ――――」
「『うっ』じゃないよ、『うっ』じゃ」
 店員に少女が食いついている。
人だかりで見えないが少女の剣幕に押され、涙声になっていた。
すっげぇ、女……。
アランは何処か聞き覚えのあるその声を無視して、ローパーズの前を通り過ぎようとした。
「こちとら、女の子の悪魔祓わなきゃなんないんだよ! 
荒いロープなんかでやって、かぶれさせちゃったらどうすんのよ!」
「無い物はないんですぅ」
「客のニーズに答えるのが専門店! 店長呼んでよ、店長!」
 ……。
店員は半泣きで店の奥に入っていったようだ。
「恥ずかしい奴め」
 アランは数句もごもごと呪文を唱えると店で怒鳴り散らしている少女を宙に浮かせ、こちらに引き寄せる。 
「何すんのよ!」
「グロリア……」
 彼はもう一つグロリアに魔法をかけた。
「――――! ――――!」
 口封じの魔法だった。
「じゃあ、帰ろうね」
 そしてそのまま男爵の館に戻って行った。


《伝書鳩》
 日付は二日前だった。神殿の伝書鳩が、グロリアの手紙を運んできたのだ。
リオンは手紙を何度も読み返す。
【先生へ。とても恐いです。
どうすればいいのか判らなくてとても困っています。
症例としては二年前のエルフィ出身のガイル・コッドの悪魔。
      その前のバイアド出身のアバラル・サイの悪魔
      その前のエルフィ出身のゾーダ・フォングの悪魔。
他五件等に酷似しています。
ありましたよね、こうやって良く似た悪魔出現が。(教科書に載ってました)あれ?
そういえば、この事件ってどれもエルフィの村とか、その周囲の村の人だ……。
助かって、無いんですよね……。どれもこれも。
私はこの被害者の女の子を助けたいと思います。
姪だからって事の前に、どうしても。
本当に恐いです。何が起きているのかが判らなくって……。
もう一枚の方に応援要請を書きました。手続きお願いします。
Gloria Cowen】
【私、グロリア・コーウェンは天父地母神殿に援助を要請します。
場所はカドレルの男爵家。
形態は不明。
危険レベル4・宿主のシャランテーゼ・カドレル六歳の体に寄生。
異常な衰弱を見せている。
活動周期は通常の悪魔同様満月には力を潜める。
が、力を表し初日の異常な力に疑問を残す。
備考:シャランテーゼの父アドルフ・カドレルは私、グロリア・
コーウェンの兄アドルフ・コーウェンである。
援助要請者Gloria Cowen】
 リオンは大司祭ファスの自室の扉を叩いた。
「ファス様、援助要請が届きました。一刻の猶予も争う様子でございます! ファス様!」
 大声を張り上げるが返事は無い。
そこに一人の司祭が通りかかった。
「どうなさいましたか、バルザック神学士長。
大司祭様は、ダイス・ラック王のご看病にまわられていらっしゃいますが」
「王が、どうかなさられたのですか?」
「先日、高熱を出され今は意識が無いのでございます。
ですから、今は手が離せないと思われますが……」
「そうですか……」
「援助要請なら、私が受理いたしましょう」
「ありがとうございます」
 司祭は白い石で出来たメダルを出すとグロリアの援助要請書に押印する。
そして、リオンにメダル自体を渡した。
「この仕事に関してはラウダス・バール悪魔祓士が適任でしょう」
「お手数をお掛けしました」
 司祭に一礼するとリオンは身を翻し悪魔祓士の集まる寮へ向かった。

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