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紅き薔薇に祝福を 5


《グロリアとアラン》
「それにしても俺等って、ある意味でラッキーだよな」
 妖しげな露天商で上等の塩を選びながらアランは言う。
「何で?」
「悪魔は強いけど、シャランテーゼ自身の身体は体力無いんだぞ? 
器を壊さないようにしているタイプの悪魔だから、真夜中には寝てくれてるからさ」
 納得しながらグロリアは魔方陣に必要な薬草の品質を確かめる。
「毎晩、ずっと暴れられてみろよ。こっちはろくな準備も出来ないし寝不足でフラフラだ。
な? ラッキーだろ?」
「でも、なんでシャルの身体を壊さないようにしてるんだろうね? 
普通の奴だったら、気にせず動いて死んだら次の人に乗り換え――って感じなのにね」
「そこなんだよなぁ……」
「誰か操っている人が居る、とか?」
「悪魔操って何するんだよ。はめられて自分も飲み込まれるんだぞ?」
「世界征服とか」
「たかが男爵の娘に入れてか?」
「う―――ん……」
「悪魔を操るのに命がかかるんだから、そりゃあないんじゃん?」
 純銀の短剣を一つ買うと、二人はその店を離れた。
カドレルに悪魔祓いもやっている神殿が在ればいいのだが、見つからなかった。
とりあえず、薬草を売っている露天商はあるのだが品質の保証は無い。
「あ――っ。アラン君だぁッ」
 黄色い声が背後からする。二、三人のこの街の少女だ。
あっという間にアランを取り囲み、先日迂闊に交わしてしまった約束をせがむ。
「買い物について行ってくれるって、言ってたでしょ? 
ねえ、行こうよ! すっごいイイ感じのお店知ってるの」
「あ、ああ―――」
「すっごい美味しいパン屋さんがあるんだ!教えてあげるー。
街の事、知りたいんでしょ?」
「えっと、あのね―――」
 少女達の熱気にアランは口を挟む隙を見つけられないでいた。
グロリアは―――先に行き人込みにまぎれた。


「ホントに、何が『ああいうコのほうが細かい街の世情教えてくれたりすんだよ。』だって? 
反対に飲み込まれてるじゃない」
 グロリアご立腹のご様子。ブツブツとアランへ考え付く限りの罵詈雑言を吐く。
その肩を、人の手が二回叩いた。
「何よ!」
 怒りの形相丸出しの顔で振り向くが、その人物を見て表情が和らいだ。
「グロリアだな?」
 そう言って、微笑んだのは美しい黒髪に薔薇の赤の瞳を持つ人物、ローザ・グリフその人であった。


 「グロリア――! グローリーア―っ」
雑踏の中をアランはパートナーの名を呼びながら歩くが、いまだ見つけられずにいた。
たった五分はぐれただけなのに。
少女達のせがみには仕事中だから、と言い逃れたが雑踏は逃れる術は無い。
とにかく、琥珀色の髪を目当てにして入るが人間の数は多い。
琥珀色の髪をしたオヤジ、オバハン、ジジイ、幼児……。
アランは自分の口が重くなるのを実感せざるを得ない。
「アラン! こっちだよ!」
 機嫌よく手を振るグロリアをどうにか知覚するとそこにむかう。
「先行くなよな」
 雑踏の中でまた人に流されかけ、辿り着いた時には荒い息とともにそのような事を言った。
実際にはちゃんとした声にはならなかったが。
「そんな事はどうでもいいよ。ほら、ローザ先輩だよ! 
応援に来てくれたの、ローザ・グリフ先輩だったんだよ」
「へ?」
 大きな息をはくと共に、アランは顔を上げた。
ぞっとするような、威圧感が駆け抜ける。
「ひさしぶりだな、アラン。
あの小さい子供が、たった十年でここまで変わるものなんだと、初めて知った」
 ローザは優雅に笑う。その仕草にアランは余計に戦慄を覚えた。
それをひた隠しに言う。
「俺もここまで綺麗で居られる人が居るって事を初めて知った」
「おだてても何もでんぞ」
「じゃあ、先輩行きましょうよ!」
「先輩って何なのだ、グロリア。さっきからもどかしくてかなわんのだが」
「あたし、悪魔祓士になったんです!後輩なんですよ。だから、先輩って呼んでるんです」
「成る程」
 ローザとグロリアは談笑しながら歩き始めた。
アランも後に続こうと歩き出そうとしたが、足が動かなかった。
人波に二人が飲まれる。
 どっと、冷たい汗が流れ膝が笑った。
「どういうことなんだ?」
 自問しても自答は無い。
心臓が狂った早鐘のように鳴っていたのは確かだ。


 めっきり、アランの口数が減ったとグロリアは思った。
食事時でも相談していても無理をして笑っていると感じる。
「どうしたの?」
「どうもしていない」
 そう言う時、アランは大抵何かを隠している時だ。
しかも、絶対に何を隠しているのか教えてくれる事は無い。
「……そろそろだから、準備してね」
「ああ」
 グロリアはローザの顔を見た。
大丈夫、とローザはグロリアの背を押してシャランテーゼの部屋へと向かう。
今日はまだ見るだけだ、とローザは言った。
「来た来た来た来た来た来た来た―――――」
 えげつなく笑うシャランテーゼは、昼間の面影を残していなかった。
目は両目ともあさっての方に向き、だらりとだらしなく垂れた舌は絶えず、べらべらと痙攣している。
「これは……」
「どうするかね? 俺をどうするかね?」
 騒ぎ立てる、悪魔の悪臭にグロリアは閉口する。
シャランテーゼの香りは、とても善かったのだが、どうやればこの様に嫌らしい臭いに変わるのだろう?
「黙れ」
 ローザの髪を引っ張り騒ぐシャランテーゼにローザは一蹴する。
同時に、その瞳と同じ光が白く細い手から放たれた。その光が小さな体を固定する。
「私が誰だかも分からぬのか?」
 そう囁いたローザはそのまま動かないシャランテーゼの頭を片手で掴むと、力を込めた。
「あぐぅっ」
 小さな悲鳴をシャランテーゼが上げる。ローザはその手を放した。
「一回へ戻ろう。結果を教える」
「あ、あの札とかは張らなくていいんですか?」
「あいつは私に怯えた。言葉だけで退散はしないが、当分は大人しいはずだ」
 先にシャランテーゼの部屋をでるローザの後を追って、驚愕の表情のままの悪魔が気になって振り返ったがグロリアも行く。
シャランテーゼの部屋の扉は奇妙な音を立てて閉じた。


 アランはグロリア達の後をついていかなかった。
先ほどの、アドルフとローザの挨拶の場面を思い返す。
〈あなたがローザさんですか。とても麗しい方ですね〉
〈アドルフ・カドレル男爵、よろしくお願いする〉
 二人が並んだ時、アランは異常な寒気を覚えた。
戦慄し、理由のわからない後悔の念を思い出す。
周りの視界が一瞬にして森に変わり、誰かが自分の名を呼んで探す声がする気がした。
何なんだ、これは……?
何なんだ、この恐怖感は、この怖気は?
会わせてはいけなかった、という気持ちは?
それよりもローザ・グリフがエルフィの村に居たという記憶はよく分かるのに何故、帰っていったという記憶は無いのだろう?
何故アドルフはローザ・グリフにあった事が無いようなのだ?
分からない。
分からない。
きっと、自分のローザ・グリフがエルフィから帰る時の記憶さえ思い出せれば、何もかもが分かるかもしれないのに。
分からない。
「アラン、ここで寝ると風引くよ」
「おわあっ」
 眼前にグロリアの顔があった。
「なんで、来なかったの? ローザ先輩の凄い所が見れたのに―――寝てるなんて」
「……ごめん」
「今日のアラン、おかしいよ。疲れてんじゃない?」
「そうかもな」
「とりあえず、寝るなら先輩の考察聞いてからね」
「……」


―――誰かが操っている可能性があるな―――
そう言ったローザの声が耳から離れなかった。
 何のために?
そこまでは分からない、とローザは首を振った。
これから確かめなくては、とも言っていた。
グロリアにとって、厳しい顔をして黙りこくっているアランが気になった。
何故、いつものヘラヘラとした顔じゃない? その表情を隠そうとしない彼は初めてだ。
これだけは明らかにおかしい。
……行ってみようか、アランの部屋に?
グロリアは物音を立てないようにベッドから降りた。
どこかで、水の滴る音がする廊下。
ひんやりとした石の感触は頭の中を混乱させる。
 なんで、知らないの?
エルフィを救ってくれたのは先輩なのに。
先輩が助け出したのは、あたしなのに。
 あの日、泊まりに来ていたアランが高熱を出して倒れた。
両親はどこかに行っていて、
アドルフお兄ちゃんも自警団のお兄ちゃん達どこかに行っていて、家の中は、あたしとアランだけだった。
 熱さましの薬になる薬草がいっぱい生えている所に、あたしは行こうとしたのだ。
   アランを起こさないように、
  そっとベッドから出て、
 裸足のまま 
細い月明かりの外に出たのだ。
―――――今みたいに。
ぬるりとした、
あの悪魔が足を掴んできた感触を覚えている。
今でも足首には
火傷みたいなその跡が残っていて、
  あたしを戒める。
一人で、
 勝手に動いちゃいけないって。
     白い花の付いた薬草を掴んだまま、
あたしは引きずられた。
泣いても、叫んでも
      誰も来てくれなくて
  恐かった。

その時、助けてくれたのはローザ先輩だった。

どうやって、悪魔をやっつけたのかは覚えていない。
思い出せるのは、
両親が駆け寄ってきた時は私はローザ先輩の首にしがみついて、
  大泣きしている所からだ。

あの時の姿も今の姿も変わっていない。
だから、あたしは街中で先輩だと分かったんだ―――


グロリアはアランの部屋をノックした。
隙間から灯りが漏れているので、起きているはずだ。
「アラン?」
 返事が無かった。寝てしまっていても、いつもはすぐに起きるはずであるのだが――――――。
 ノブを軽く回すと、静かに扉が開いてしまう。
悪魔と同じ屋根の下にいるというのに、あまりにも無防備だ。
魔除けの香の消えかけた残り香だけが、鼻につく、
―――――――いない。
窓が開かれ、白いカーテンが夜の風に舞っていた。



「どうしたんですか、先輩?」
 蒼ざめたまま、食事をとらないローザにグロリアは心配の声を上げる。
アドルフも、心配そうだった。
「いや、なんでもない」
 静かに微笑むローザはそのまま消えてしまうのではないかと主ってしまう程儚い印象を受ける。
満月から約二週間が経とうとしていた。
既にシャランテーゼの悪魔の力に若い祓人の力は及ばず、もっぱら連夜の戦いはローザの戦いとなっている。
「すみません、本当はあたし達がやらなくちゃいけないのに、先輩に任せてしまって」
「大丈夫だ。それに一度でもやり方をみておけば何となく要領が分かってくるようになる。
決戦は今日だ。男爵もご参加願おう」
「今日、新月ですよ? 悪魔が一番強いって言う……」
「最も強いからこそ、最も弱い、という日でもある」
「……難しいですね」
「見れば分かる」
「はい!」
 アランは少々興奮気味のグロリアの横で、一つ大あくびをした。
あの日からアランは毎夜のように抜け出している。
「何やってんのよ、アラン! 今日だよ、今日最後の―――」
「いででででっ」
 アランの耳を引っ張り左右に揺らすグロリアの鼻は奇妙な臭いを捉えた。
次の瞬間、グロリアの右手が彼の横面を張った。ローザもアドルフも一様に驚く。
「いってぇな! 何しやがんだよ!」
「馬鹿ぁっ! あんたこそ、何やってるんだよ!」
 グロリアの目には涙が見る間に溜まっていく。
顔を真っ赤に紅潮させて、アランを睨みつけた。
アランから漂った香り。
これは――――死臭だ。
正確には、死霊を呼び出すための薬草の香り。
神殿では、厳しく取り締まっているハズである。
死霊を呼び呪いをかけるものは、己も命を落とす禁呪の一つだ。
この中では、ローザの体調がおかしい。
文献で読んだ、死霊の呪いと似ているのだ。
「死霊を、つかった……?」
「……」
 アランの蒼い目が鋭く輝く。
「やったん、だね……」
 大きな涙がグロリアの琥珀から流れる。
アランは何も言わず席を立った。
「……グロリア……」
「悪い事はしないって信じてたのに……」
「ローザさん、今日やってよいのですか?アランもいないのに……?」
「今日やらねば、お前の娘は殺す」
「そうですか……」
 二人は、黙り込んだ。シャランテーゼは封魔の札により部屋に閉じ込められている為館の中は物音一つしない。
グロリアの押し殺した泣き声だけが、そのまま続いた。

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