死霊の館 3
U.In The Room
さすが、館と言うべきか。あの重々しい扉をくぐって光虫珠で照らした入り口は圧倒されるものがあった。多分、うちの店の部分と居間の部分がまるまる2つは入ってしまう広さ。うっすらとホコリがつもるその広大な床は高価な美しい石材でその上を薄い絹の絨毯が通り道を飾っている。白い光を浴びて天井にきらめくのはなんと、水晶じゃなくアラバスタだ! 当然ながら、火が着いていないから極上と呼ばれる光を見る事は出来ない―――なんちゃって、店長の受け売りだけど―――。
でもそれでも、たとえクモの巣が張っていてもなんて綺麗で贅沢な調度品だろう。
そばのホコリだらけのソファだってビロード張り。壁はファルシアー。
私、ファルシアーなんて初めて見た。
店長が説明してくれなかったらただのゴチャゴチャうるさい柄の革の壁としか思わなかったに違いない。
金箔は光虫珠の光を受けて燦然ときらめき、よくなめされ、丁寧な彩色を受けた革は言われれば途方もなく高価だ。うん、なんて立派で高そうなんだ。
「店長、これを剥いで今回の旅、終わらせません?」
「駄目」
店長は私に一枚のメモを渡した。
かさかさの羊皮紙に癖のある店長の文字が踊り、見覚えのある穴が細長く入っている。
「それに書いてあるのが大体手に入らん限り帰らんぞ」
「……」
そういえば、このメモ。
あの包丁にさし抜かれて渡された奴だ。
倉庫をひっくり返してもどうしても見当たらなかったやつばかり。
でも
「……こんなの、何に使うんですか?」
『屍食鬼の爪』
『蠢骸の脳髄』
『スライムの臓腑』
『宝珠』 等。
こんな怪しいのばかり。これで魔法薬作ったって、私は絶対飲まないぞ!
ああ……、帰りたい……。
「毒の精製と、溶剤。それから占い、だな」
「占いって、宝珠ですよね? どこにあるんですか?」
「それを探すのが仕事だろ」
「……はい」
ここになかったらどうするんですか……。
嫌ですよ、他のところまで行くのは。
「よし、開いた!」
店長は次の部屋に行くための木扉と格闘していた。
高そうな彫刻を施された扉は堅いオークで出来ているらしく店長のナイフは鍵穴の周りをぼろぼろにしただけだった。その切り傷の所でナイフの折れた刃がつきたっている。冒険て、本で読むのと違うなぁ、と思った瞬間だ。
だから、ノブのところを壊すのを止めた店長は鍵穴に針金で勝負を挑んでいたのだ。
普通、音を立てながら傷つける前に、鍵穴に針金を突っ込むんじゃないの?
「めんどくさい事をしやがって。オルヴ、ちょっと来い」
「あ、はい」
「開けて」
「へ?」
「ほら、扉を開ける」
「え? だって、店長が鍵を開けたじゃないですか」
「ああ。俺が鍵を開けたよ。扉はお前が開けるんだ」
「だって! そのまま店長が開ければ速い事でしょう?」
店長はちっちっちっと頭と一緒に人差し指を横に振った。
「この奥に何がいるか分からんだろう? そういうときは接近戦のお前がやるんだ。大丈夫、俺が後ろから援護してやるから」
「な、何が大丈夫ですか!? え、嫌だ。嫌です! 店長が開けてくださいよぅ! ―――」
店長はまだ言い足りない私の前で「静かに!」のジェスチャーをした。
そうだ。ここはまだ出てなくてもモンスターの巣窟。
静かにしていなくては、どんなのが聞きつけてやってくるか分からない。
店長は膝立ちの姿勢から立ち上がり私の肩に手を置いた。
「四の五のぬかしてる暇はない」
耳元で指をならすパチンっと弾ける音がした。
私の頭はぼんやりとしてふらふらと扉へ近づく。
はっきりしない頭のままで扉のノブに手を伸ばしたときだった。
頭の中で「危ないっ!」と直感が騒ぐ。
途端に私の頭は霧が晴れたようにすっきりとした。扉のノブをじっくりと見る。
光虫珠を近づけると、真鍮製のノブは何か液体が滲みだしているのか、それとも塗られているのか、てろてろと光をはじいた。
なんで、濡れてるの?
頭の中の警鐘はこれかもしれない。
私はソファのところまで戻るとビロードのクッションを取ってきた。
いいなあ、こんなので昼寝が出来たら最高なんだけど。
もったいないけどクッションからカバーを外し、それでノブを包み込んだ。
本当は、その液体を拭うつもりだった。
ぴた。
カバーがノブにくっついた音としては最適の表現だろう。
しかし、まあ。なんて粘着力。
カバーがちっともはがれないのだ。
扉に足を掛け、体全体で引っ張るとビロードは端からびりびりと破け始める。
それでもはがれない。
……もし、素手で触っていたら……?
「てんっちょおおおおおおおぅっっ!」
「あ〜、お茶目お茶目。行くぞ」
店長はずかずかと進んで玄関ホールを後にした。
その後ろを店長が着た灰色のマントがひらひらとあおられながらついていく。
……私も、ついていかなきゃいけないのかな?
ため息をついたときだった。
私は部屋を見渡した。
空気が変な具合に変わった気がしたからだ。
何が変とは言い切れない。
「店長、待ってくださいよ」
一抹の気味の悪さを感じて私も玄関ホールを後にした。
“頭上注意”と店長は白墨で壁に落書きをした。
相変わらず、荒れているのかなんなのか判別かないような癖のある字だ。
「何をしてるんですか?」
「テストだ」
きゅるっと床に円を書き、頭の上を気にしながら×を書いた。
「オルヴ。ちょっとここに立ってみな」
「嫌です」
店長は大きくため息をついた。
「何事も、経験なんだぞ?」
私も大きく首を振った。
「業務命令だ」
私の視界から店長は姿を一瞬で消す。
金の髪の流れた方を追ったときには既に遅く、店長の足払いで私はつんのめって印の上に転んだ。
「しょ、職権乱用で―――うひゃっ」
にゅるり。
ぞくっと、背筋に悪寒が……いや、何が冷たい物が首筋を這った。
ぷるぷるぬるぬるしたそれはゆっくりと肩に重みを増してくる。
「ひゃっ、うひゃっ! 嫌だああああああああっ」
なんか一瞬思い出したくない過去を引き連れてきたそれは、スライムだ!
鉄や石以外ならなんでも溶かし自分の栄養とするスライムは手始めに私のターバンを溶かし始めた! じわじわと麻の焼ける匂いが漂い始める。
「て、店長ぉ! た、助けっ……ぶぐっ!」
ぶるぶるした生暖かいものが口から入ろうと試みる。
苦しい。苦い。
嫌だ、怖い!
「ちょっと待ってな。容器が見当たらん」
意志を持った液体のようなスライムは透けて見えて、のんきに荷物をあさる店長が歪んで見えた。
水薬のような味の物体はわたしの喉の奥を触り、無理矢理入ってくる異物に身体が反応する。
入ってくるな、と胃の中の物ごと吐き出すそうとする喉の動きが苦しくて、涙とか唾液とか、スライムの体液で私の顔はべちゃべちゃに濡れる。
スライムのせいじゃ、喉が焼け付く。
熱い。
苦しい。
「どこにやったっけな」
なんて声が遠く聞こえた。
店長。あなたが全く当てにならないってことがよく分かりました!
侵入しようとするスライムはその特異な身体のせいで掴めず、徒労に終わる。
私は短剣の柄に手をかけると倒れたまま引き抜いた。
顔が切れてもしょうがない。せめて、生きていないと。
欲を言えば、目を傷つけたくはない。
短剣は私の顔を横滑りの動いた。
ぶつん、とスライムが途切れ、私は跳ね起きた。
口の中の残ったスライムはぶるぶるとふるえ、余計中に入ろうとする。
吐き出そうとしてももう息が続かない。
手を口に入れたけどするすると滑って掴めない。
! 白墨!
白墨の粉を手に取ると指にすりつけた。
焦る気持ちと新しい革のせいでなかなか指に巧い事白墨をすりつける事は難しい。
それでも白くなったグローブではスライムを吸い付ける事が出来た!
そのまま引きずり出す!
「……っぐっ……ぁ……はァッ……」
ホコリっぽい空気を胸いっぱいに吸い込むとむせた。
それでも空気が欲しくて欲しくて、膝をついても咳き込んでも空気を吸い込んだ。
ひりひりする喉に空気が痛くても嬉しかった。
どっと来る疲労。
安堵と疲労で油断した私はまだスライムを引き離しただけであった事を忘れていた。
スライムは再び襲ってきた。
脳髄のないくせに、怒りだけはあった。透明な体色を白く濁らせていた。
もうあのぶよぶよと弾力のある身体でなく、硬質化、鋭い刃物と変えて……!
「オルヴ!」
風を切る音を聞いた瞬間、顎から頬に掛けて熱が走った。
溶かされたターバンから溢れていた髪が宙を舞ったのを見た。
私はスライムの攻撃をのけぞって避けたようだ。
背に壁がぶつかる。
スライムは私を取り囲むように伸びてじわじわと近寄ってくる。
もう、駄目……。
顔の傷がそのまま激し頭痛のように痛い。
スライムも勝ち誇る事があるのだろうか。
白濁したスライムは私を追いつめた事を知ったように青白く輝いた。
いたぶるのは分かっている。
どうせなら、楽に死にたいけど……、それだけは直感で分かった。
それに、見てもわかる。
青白く輝くスライムは体中をハリネズミのように棘だらけにして、ゆっくりとこっちに迫っていた。
「たわけがっ」
青白い光は軌跡を直線的に描いて壁につぶれた。
べちゃあっと、入ってきた扉にスライムは広がっている。
「単なる練習兼材料で終わらせようと思ってたのによ。当てが外れたな」
店長の右足はスッとマントの中に消えた。
……蹴ったんですか。
不定形生命体が形をなそうとしたから成せた事だろう。
蹴らないと思うんですけどね。普通。
「フィーラ」
マントから突き出された右手は炎を放った。
一直線に進む炎は巨大な火球となってスライムを目指した。
元に戻ろうとうごめいていたスライムは胸のむかつくような異臭を放ちながら景気よく燃える。炎がのたうち回るスライムに合わせて波打っていた。
……なんでだろう? いい気味、と思いたいのに……。
「大丈夫か?」
店長は荷物袋から水と酒の入った革袋2つを取り出した。
まず水を布に湿らせて私の顔を拭う。
酒の入った革袋の蓋を外すとアルコールがつんと鼻についた。
「痛む……」
私の傷に酒をかけようとして店長は口をつぐんだ。
「なぜ、泣いている?」
痛むのか、と聞かれた。
痛いけど、わからない。
だから、わかりませんと答えた。
酒が傷にしみて凄く熱くて痛い。
「モンスターから受けた傷はすぐに消毒するんだ。どんな病気になるか分からんからな」
軟膏を塗り付けて応急手当は終わった。
店長は荷物を背負い直すとメモを取りながら進んでいく。
私は燃やされたスライムを振り返った。
少し鼻の奥がつんとする。
でも、目を拭ったのは悲しさからじゃなかった。
あの分厚いオークの扉はスライムと一緒に炎上した。
他に火が移らなかったのは店長が炎を操ったからだ。
それなのに、どうして……どうして、傷一つないんだろう!?
「て、店長待って! 待ってください!」
「あ? 何だ―――うぁっ!」
背後で店長が悲鳴を上げた。見れば店長は足をぴくりとも動かしてないのにゆっくりと先に進んでいるのだ。
わかる?
店長は私の方を向いているのに、道の先に進んでいる。
店長は、自分の背の方向に足を動かさず進んでいるのだ。
「何やってるんですかっ? こっちに来てくださいよ」
「しまった……! 俺とした事が……っ」
店長に苦々しげにつぶやいた。全力でこっちに走り出す。
それなのに、一歩も進めない。
「いいか、オルヴ。これがフロア・トラップだ!!」
全力の足踏みをしながら店長は叫んだ。
「しゃがめ!」
「え?」
反射的に店長の言葉に従って私はしゃがんだ。同時に頭上で何かが風を切る。
見ると天井から無数の手が生えて私に伸ばされていたのだ!
「な、何ですか、これ!?」
手は店長の頭上にも生えて店長を捕まえようとしていた。
それを身体を捻ったりする事で彼は避けていた。
「匍匐前進。ここまで来い!」
「匍匐前進って何ですかっ!?」
「何ィっ? とにかく、来るんだ!」
店長は印を組むと指先に白い光を灯した。それをくるくるとまわすと光は網のように広がって天井の手に向かう。
全ての手が店長の方を向いた。
私を追っていた手も凄い速さで店長に迫る。
どうして、攻撃しないの!?
私は低い姿勢のまま走った。
店長に襲いかかった手を細身の剣でなぎ払う。
「うわっ」
切り口から真っ赤な液体がシャワーのように降ってきた。
切り落とされた手はヒルのようにうごめいて飛び跳ねる。
「やだ、気持ち悪いよ」
「何をしている。行くぞ」
店長は私の腕を掴むと引き寄せて走り出した。
突然スピードが増す。店長が走るだけじゃこんなスピードは出せない。
これが、フロア・トラップ!
手はびっしりと天井に生えていてまず背の高い店長に襲いかかった。
「邪魔だ」
さっきのとは比べ物にならないほど目映い光が店長の指先に灯る。
「ヅァドっ」
光の網は広がり、今度は刺激するのではなく破裂した。
網はただ一帯を薙いだだけでなく、道の先まで案内するように走って手を吹き飛ばした。
「ふぁ……」
私はあっけに取られた。気付は私も店長も走るのを辞め、ただ立っていた。
それでも壁はぐんぐん後ろへと流れていく。
「使い方さえどうにかすりゃあ、いい乗り物だな」
店長は満足そうに笑って言った。そして付け加える。
「帰ったら匍匐前進の練習だからな」
……はい。
「店長……」
「……何だ?」
「……酔いました……」
「……俺もだ」
「どこに行くんでしょうね?」
「知るか」
すでに私と店長はフロア・トラップの上に座り込んでいた。
立ってなくても勝手に何処かに運んでいってくれてるんだから立っててもしょうがない、という結論だった。
逃げればいい、って言ったって通路いっぱいに広がったトラップから逃れる場所はなく、トラップが流れる通路には扉一つない。
そして明らかに、今まで連れてこられた距離はこの館の外壁を突き破っていてもおかしくないほど長い距離だ。いくらぐねぐねと曲がっているからといっても、限度という物があるだろう。
あ〜、気持ち悪い……。
さっきから右行って左行って右行って左かと思ったら右行って……。
「うえ……っ」
「水、飲むか?」
いえ、結構です。今口を開けたら吐きそう……。
「うひゃっ痛っ」
「わっいてっ」
突然、身体が宙に浮き上がった。すぐに落下して腰をしこたま打つけど、またすぐに上へ放り投げられる。
そう。
フロア・トラップが上下に揺れだしたのだ。
店長は巧い事立ち上がり、トラップの波に乗るが、私は自分のバランスのなさに嘆く事になった。
「痛い、けど気持ち悪いっ」
うっ……うう……っ。
腰を床に落とされる痛みと浮遊感から来る吐き気は最高に最悪な組み合わせだ。さっきのスライムの攻撃と相まって、喉のすぐ上まで嘔吐物が来ている苦みがある。
飲み込んでも飲み込んでものどの奥のつかえはとれない。
苦みと息苦しさで身体に震えが来る。
突然、浮遊感が私を襲った。今度は大きい!
固く目をつぶった私は一向に来ない落下に薄目を開けた。
身体は波打つ床から1mほど浮かんで漂っている。
「生きてるか?」
同じく宙に浮かんでいた店長は私を覗き込んだ。
「……」
声で答える代わりに力なく首を横に振る。
そ、それすらも吐き気が……。
後方へ流れていく壁。
その壁に見た事のある壁を見た。
見た事のある癖の字で―――
『頭上注意』
紛う事無き店長の字。
「えっ?」
私は天井を見た。条件反射と言うべきだろう。
私が見た物は―――
「も、モップ!?」
迫り来る巨大なモップ。
ふかふかの密な毛は私と店長を床に押し付けた。
背にあたる床―――
は無くて、代わりに虚空があった。
「わあ―――――――――っ……!!」
思う存分肺の中の空気を使った私の悲鳴は、長い長い尾を引いて虚空に落ちる軌跡を描いていった……。