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死霊の館 4

V.A Strayer Strays in Straying Way.

 フリーフォールの間、風の中に何かを聞いた気がする。
その途端、浮遊感は弱くなり大理石の床へとゆるゆると下ろされた。
ホコリだらけの床は私が降り立ったときにぶわっと煙を吹き上げ、まるで火山灰を思わせる。
私が降りたところ、それは貴婦人の為にあつらえたような部屋だった。
実際貴族の女の人の肖像画が飾られているから、この人の部屋なのだろう。
光虫珠に照らし出された部屋は全体的に灰色に染まっていたが、なんと豪華なのか。
先ほどの入り口ですらためらうほどだったのに、その倍ほど高そうな調度品の数々。
もし何か一つ壊しちゃって、その請求が来たとしたら……するしかないよね、夜逃げ……。
その中の大きなベッドの上を叩いてホコリを払うと腰をかけた。
このままひっくり返ってしまいたいほど酔ってて気持ちが悪かった。
吐きたくても吐き出せなくて、正直に言うと凄くつらい。
しかし、なんとまあ、立派なバネの利いたベッドなんだろう。
身体が沈むほどのクッションを乗せたそれはきっと『だんでぃ・らいおん』で一生働いたとしても買えないにちがいない。
やっぱりここで吐いちゃ駄目だ……。
「世の中、こんなお金持ちも居るんですねぇ……」
 別にここまでお金が欲しいとは言わない。
泥棒が入ったら、なんて考えるので精一杯になってしまいそうだから。
少なくとも、毎月きっちり三度の食事が「雑草(もはや薬草ですらない)スープ」にならない位あったらきっと満足出来ると思うなぁ。
吐き気が、収まるまで。
そう思って、倒れようと手をベッドの上に置いたときだった。
ぐに。
妙に柔らかい、むしろ指が吸い付くような弾力の無い物に私は手をめり込ませていた。
あの、見たくないんですけど……。
「店長」
 私は店長に声をかけた。
帰ってくる言葉は無い。
そういえば……店長を見てない!?
「あ、あの店長、どこですか……?」
 帰ってくるのは耳が痛くなるほどの静けさだけ。
「……店長? ねえ、店長っ。店長、返事してくださいよ! こんなところで意地悪しないでくださいよ、ねえ。どこですか!?」
 光虫珠を持ち上げて手を振り回してみる。でも、それは私を怖がらせるだけだった。
光は周囲の壁を薄暗く、明るくなりながら誰も居ない事だけを示す。
「店長―――」
白い光はなんの暖かみも無く、ホコリだらけの部屋を照らしていた。
「お願い、返事を―――」
私は今気づいた。
この部屋、窓が無い。
出て行く、扉も無い。
私が落ちてきたはずの天井の穴も無い。
箱だ。完全に四方塞ぎきった箱。
「い……や、だ……」
 思わず立ち上がっていた。
「……嫌、嫌だ嫌だ!」
 自分の速い鼓動だけが壁に木霊して響いてるように耳にうるさかった。
「どうして……!」
 吐き気を忘れて壁を叩いて回った。
肖像画のそばまで来たとき、私は膝をついた。
微かな微かな細かい傷が、肖像画に無数ついていた。
慌てて周囲を見渡すと、気がついた事がある。
椅子はソファ。テーブルは大きな石で作られて、部屋の明かりはくくり付けで壁の燭台。
壁を傷つけられる、道具が無い。
つまり、引っ掻いてかろうじてつけられた傷と言う事になる……よね?
それも、きっと女の人の手でつけられたもの……。
折れた爪が落ちていた。
 じゃあ、あの、さっきのベッドにあった、へんな感触の物は―――
私は最悪の想像を振り払うために首を強く振った。
とにかく、落ち着かないと。
水袋を口に持ってくる。
手が細かく震えて飲みにくい。
アンダーウェアに溢れて冷たくて、気持ちが悪い。
それでも、少しは落ち着くものなんだ、と初めて知った。
多分、店長とはぐれたのはあの落下の時だ。
もしかしたら、別々の穴に落ちたのかもしれない。
きっとあの声は店長が私に魔法をかけた時の声に違いなかった。
だからあんな風にふわっと降りられたのだ。
よくよく考えたら、この部屋、窓も扉も無い事は結構安全という事なのかもしれない。
あのベッドの何かにさえ注意していれば、他のどこからも侵入口はないのだから。
店長が無事だったら、きっと探しにきてくれる。
ここから出してくれる。
店長は無事なはずだ。
店長は強いのだから。
だから、探しにきてくれるよ。
「……」
 静かだ。
「……なんか」
 私は思った事を口に出す事にした。
「―――お腹すいたぁ。多分、もう朝食の時間だと思うんだけど。色々あったし、本当にお腹すいたなあ。よく考えたら、昨日の夕食食べてないんじゃないかな? もし、本当に店長に眠らされたのが昨日の話だとしたらなんだけど」
 口に出せば出すほど、本当に空腹に気がついてくる。
腹の虫が小さく鳴き始めた。
「食べちゃおうか。店長が来るまで、ほんのちょっとの時間だろうけど」
 食料を確認するべく、私は背負い袋から羊皮紙に包まれた食料を取り出した。
かさかさと音をたてる羊皮紙は水をはじく。
食料の保存には丁度いい。
「保存のための羊皮紙は高いから破くなよ」と店長が言ってたのまで思い出す
二度焼き締められた堅いパン。氷砂糖。干し肉。乾いた杏、ナツメ。
どれも普通に買ったら高いものばかりだ。パンならいつも食べるパンも同じ位ガチガチだけどね。
「結構あるもんだねー」
 私一人なら普通よりほんの少し少なめに食べても3日分はありそう。
……もしかしたらこれ、店長の分まで持ってきてるのかな?
とりあえず、パンと干し肉を少し食べよう。
「……」
 干し肉を切ったあとで気がついたんだけど。
この短剣、あのスライム切ったあとで拭いたりしてない!
「た、食べる……の?」
 食べ物を前に腹の虫は容赦なく鳴く。
あの体液、平気なんだろうか?
毒かなんかついてるんじゃないだろうか?
そういえば店長、怪我をしたらさっさと治療しろって言ってたし……。
毒を持ってる、とかなんとか。
 そんなことを考えながらも干し肉を見ているとつばで口が潤ってくる。
きっと良くかんだら塩気とか旨味とかでさぞおいしいだろう。
でも、あのスライム甘苦かったんだよね。
……どんな味になってるんだろう?
「大丈夫だよね! ……多分」
 自分自身を無理矢理納得させて口へ運ぶ。
うへ、あの匂いだ。
一気に食欲が失われる。
また羊皮紙に包み直そうと思ったけど、切っちゃったし、スライムの体液がついてるし……。
どうしようかな、と干し肉片をぴらぴらさせているときだった。
……やっぱり、視線を感じる。
なんか、どこから知らないけど気持ちが悪い。
ふと頭上を見上げた。
手のひらがあった。
「なんだ……。手のひらか」
 普通、手のひらって人が居て手のひらがあるんだよね?
ふ・つ・う――――――。
「壁から生えてくるなんて反則でぁ――――――すっ!」
 寄りかかっていた壁から飛び退ると短剣を構えた。
う、うへぇ、気持ち悪い。
肖像画の目のところから腕が生えて、腕の先に手があって、手のひらについた目がこっちを見ている!
腕はゆらゆらと揺れているだけでこっちには近づこうとしなかった。
「……やぁっ」
 これ以上事態が悪くなる物か。
短剣を横に薙ぐと、なんと言うかあっけなかった。
干し肉を切るよりもあっさりと、腕は滑らかな切り口を残して床に落ちてしまった。
落ちた腕は形容したくない色の体液を絨毯の上にまき散らしながら、つられたばかりの魚のようにぴちぴちと跳ねていた。
ぐっ、吐き気を思い出したじゃないか。
私はその腕を見ないようにするためにベッドのところに戻った。
シーツをかぶせるつもりだったからだ。
手触りのいい絹のキルト。ああ、勿体ない……。
壁画からのびた目のついた手のせいで、私は大切な事を忘れていた。
シーツを取るために引っ張る―――
「……」
 私はその人と目が合った。
いや、人かどうか定かではない。格好からして、ここの女中さんだろう。
……人だったらの話だけど……。
 肘から先の無い腕から流れる鮮血(液)でシーツを汚し、凄い形相で私をにらみながらシーツをくわえて離さない、そんな人と目が合った。
いやいやいや、この人、目はない。
ぽっかりと開いた黒い洞が目の部分に開いている。
いや、本当に怖いんですけど。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ……」
 口が塞がっているために、息が出来なくて苦しいのか鼻息が荒い。
だったら離してくれればいいのに。
さっきから私がなぜこうして冷静に考えているのか。
別に私は冷静に、冷ややかな目で彼女を見ているのではなく、怖過ぎて身体が動かないのです。
あのぽっかり開いた洞穴から目がそらせず、息が出来ず、身体は震えが止まらない。
落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ、と思っているうちに心が分離してしまったような感覚を受ける。
怖くて泣き叫びそうな私と、妙にやたらと冷静で、状況を把握しようとしている私と。
こうなっては埒があかない。と冷静な私が判断した。
声は出せるの?
「あ……あー……」
 こ、怖くても一応声は出せるんだね。
ずいぶんうわずって、いつも以上に高くて震えた声だけど。
「あーのっ。こっ、ここで、何をなさっ、てるん、です、かっ、か、かかっ?」
 彼女はいぶかしげに私を見あげた。シーツをくわえる力が弱まってシーツがたるんだ。
「あのっですねっ? おたが、お互い落ち着いて、話し合いましょうよ? な、なにぶん、わたッ私、じょっ……じょ状況掴んでないので、ね?」
 ……私、落下した時どこに頭をぶつけたんだろう?
こんな突拍子も無い提案に彼女はシーツから口を離した。
私もぎこちない動きでどうにかシーツを離す。
ぽっかりと開いた目が、私の手を見ていた。
あ、短剣……!
 慌てて短剣をズボンで拭うと鞘に納める。手が震えて、ズボンを少し切ってしまった。その鞘に入った短剣をベッドの上において、手放す。
「こっこっ、これでどうでしょう?」
 私がひらひらと手を閃かすとようやく彼女は口を動かした。
「あー…あー…うぁー、ぇひー」
が、言葉になってない。
うつろな風が響くような息と、口の動きでなんとか気味の悪い音を響かせている。
「あぉー、ひっ、しっ……」
 切り傷生々しい上腕を振り回し、彼女は私に何かを訴える。
業を煮やして口を大きく開いた。
ああ、立派な歯ですね……じゃなくて、舌がない!
話し合いも何も出来ないじゃない!
「ああ、しゃ、しゃべれないんですね?」
 彼女は頷いた。
……この人、絶対生きてる人じゃないよ。
「かくもほ」
 かくもほ?
「あいか、かくもぉほ、も……えあい?」
 あいか、かくもほ……あいか……も、えあい……?
あいか…
「ああ、『何か書くもの』ですね?」
 私は彼女の言葉が分かったのが嬉しくて、白墨の粉の袋を彼女に渡した。
「どうぞ―――」
「……」
「って……」
「……」
「……ごめんなさい」
 彼女は暗い目で私を見ていた。
指やら手がなきゃ書けないじゃないか!
彼女は大きくため息を一つつくと、もぞもぞと這って白墨の粉の袋に近づいた。
やっぱり、この人人間じゃないよ……。
顔にかかった髪の毛が一条、意志を持って袋の中に滑り込んだ。
なんでそうなったのか聞きたくない部分的に黒っぽい茶の毛が絵筆のように白い先端を持って壁に向かう。
『私は、この館の女中です』
 そうでしょうね。格好を見れば。
「わ、私は魔法士の弟子で―――」
『知っております。拝見させていただいてましたから』
 ……いつから? どこから?
と言いたいのを私は口を閉じた。私は嘘をついたからだ。
私は魔法道具屋の住み込み店員であって、決して店長の弟子ではない。
ずっとしゃべりすぎてしまってぼろがでるのは良くないと思う。
『あの魔法士の方、ステキですね』
 どこをどうもってそんな事を言うのだろうか、この人は?
「話がずれてますよ」
 これから店長について(大方、誤解を基にした妄想)語ろうとしていたメイドさんは何も無い目で私を睨みつけた。
「どうぞ、あなたの事を」
 しばらく私をにらんでいたメイドさんは気を取り直して書き始めた。
『この館にお仕えして早149年ほどでしょうか』
 早くないと思うんだけど。
『10の時にここに連れてこられまして、それからなのです』
 じゃあ今はえ〜っと……?
私が再び先ほどの数字を見ようとしたとき、他の髪の毛が壁の文字を消した。
『私がここに居るのは、濡衣なのです』
 え?
『お仕えしていた奥方様は神経質な方で、掃除のためであれ少しでもご自分の物の位置を動かされるのがお嫌いなのです。私は、そのような事をしてないのですけれど』
 か、可哀想に……。
『私は奥方様に、覗き魔の噂好きとののしられ、ここに閉じ込められました。濡衣です』
 あながち外れてないと思うのは私だけですか?
『奥方様ったら神経質で、このお部屋をお使いになられていたのですけどね、私が覗くから、と仰られて、ここに私を閉じ込めて他にお部屋をお使いになるようになられたのですよ』
 彼女はちらり、と私を覗き見た。
私はあわてて取り繕う。
「な、なんて酷い奥方なんでしょう! ど、どど、同情しますっ」
 彼女は満足げに鼻を鳴らした。
『酷いですわよね、食事も『これがお前の使っていた覗き穴だ』ということであの肖像画の目の部分から入れられるものしかくださりませんでしたし』
 肖像画を見ると……、あ、確かに目のところ(さっき腕が飛び出していたところ)は、くり抜かれて後ろから別の板かなにかで書かれた目がはってあるように見える。
 ちらり。
また彼女は私を見た。
「かっ可哀想です。本当に酷い、惨たらしい! く、く苦しかったでしょうね」
「そうでしょう、そうでしょう」と彼女は頷いた。私が苦しいよ。
『ここに居ても、廊下から聞こえてくるのは何一つの浮き事なく、しんと静寂に包まれた同僚の働く足音だけ。身を切り刻まれるほど寂しかった』
「そうでしょうねぇ」
『私は悔しくて悔しくて、自分で自分を罰しました。奥方様は一体私に何年の罰を与えるのでしょうか?』
「へ?」
『私は自分で舌を引き抜いたのです』
 それ、奥方様の罰じゃないんだ。
『目もくり抜きました』
 ……どうしよう。
『私はここまで反省しているのに、奥方様は許してくださらない。酷いでしょう? 
その上、私がまだここに居るにもかかわらず、奥方様はこの部屋の扉や窓を奪ったのです』
 同情出来るんだか、出来ないんだか……。
『更に』
 まだあるの? もういいですよ。もう何も言わないで。
『まだ、私を見張っているのです。時々見張りをよこすのです。私は知っています。
でも』
 彼女は私を見た。今度はちらりちらりでなく、口端が耳にまで届きそうなほど歪めた笑顔で。
『私は知ってします。その見張りが人を見分けられない事を。という事は―――』
 背筋が凍り付いた。もはや、壁に書かれる白墨を見ていなくても、彼女の言いたい事が分かる。
―――あなたはここにいる。わたしはあなたのかわりにいく―――
「ちょ、ちょっと待って。だ、駄目、駄目です! そんなこと、私はしませんよ」
 私は立ち上がった。
「ごっ、ごめんなさい! 私には何も出来ませんっ」
 振り払うように後ろに飛び退った。
血の染み付いた髪が蛇のように私に絡み付こうとする。
いや、これは蛇だ。細かな目がついている。
だから、私を追えるんだ!
『いいじゃないの。だって私の目、あなたが切り落としたのよ。責任とって欲しいわ』
 やっぱり、あの目付きの腕はこの人だったんだ!
『あなたのせいよ』
 髪が際限なくうねり、言葉を綴る。
『私の目を返してよ』
『あなたの目でいいの。ちょうだい』
『殺すわよ。返さなければ殺してやる』
 逃げなきゃ。
でも、どこに?
少なくとも彼女から離れるために、私は部屋の隅にまで逃げた。
丁度彼女の対角であるそこは、巨大な鏡がずしりとした存在感を持って壁に張り付いている。
闇の奥に息をひそめている彼女の位置を探るため、暗がりに眼を凝らし息を殺していたときだった。急に左肩が重くなる。
丁度、人の手を置かれたように、だ。
「ぁあ……っ」
 しまった……っ。
暗がりに眼の慣れた私が見た物は、己の長い髪を使い凄まじいスピードで這ってくる死霊の姿!
「来ないで! く、来るなっ」
 思わず、長剣を引き抜く。
すると、予想外の事が起きた。
剣は鯉口から刀身を閃かせた瞬間、目がくらむほどの光を放ったのだ。
痛みを放つ光と恐怖で目が開けて入られない。
とんでもない大音声の死霊の悲鳴が耳をつんざいた。
《もう、大丈夫》
 誰かの声が聞こえた気がした。彼女の気配は消えていた。


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