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死霊の館 5

W.A Virtual Image of Mine And A Real Image of Him

 あの光の衝撃から立ち直るのにしばらく私はぼんやりとした暗がりと向き合っていた。
ようやくぼやけて見えるようになって、あのベッドに光虫珠を取りにいく。
「あ痛っ」 
 何かを踏んづけて床に顔から突っ込みそうになる。
ころころと何か玉のようなが足下から転がっていった。
「光虫珠……じゃ、ないね」
 だって光虫珠はベッドの上で光っているんだから。
色は分からないけど硝子か何かで出来ているようなつやつやした玉だ。
ちょっといびつだけど。
 拾ってポーチの中に入れると、あのベッドに腰かけた。ひっくり返された白墨の粉の中に短剣が埋まってしまっていた。
白い粉をはらってもまだ白い短剣を元の場所に戻し、光虫珠を持って周囲を照らす。
あの鏡が、もう一つの光を反射していた。
この光虫珠の光だったのかな? 丁度この位置で反射している。
あの時、私は身体をずらしてしまった訳だし、あり得ない話じゃない。
すぐそばの壁を照らすと、彼女の私に対しての呪いの言葉の数々を見る事が出来た。
……可哀想な人だった……。
 色んな事を考えていると、たとえしょうもない事だって止めども無い。
私はあの人から逃げなきゃいけなかったんだ。生きるために。
私が死んだって、あの人は生き返るはずがないのだから。
そして、そんな考えを止めるきっかけもしょうもない。
「あれ? 私、いつ剣をしまったんだろう?」
 まあ、無意識で片付けたんでしょ。いつまでも抜き身じゃ危ないから。
「あの光は……店長がかけておいた魔法だったのかな?」
 いや、それならさっき店長を助けようとしたときに発動していたんじゃないかな?
あ、そういえば、あの無数の腕を切ってからこの剣の手入れもやってないや。
「ごめんね」
 涼しい音を立てて、細身の長剣は鞘から抜け出た。光虫珠の光をはじき、その光が鏡に当たり、反射した光線は私の目に染みた。
暗いなかで慣れてしまった目には痛い。
しばらくちかちかする目を押さえ、光の明滅が収まると私は改めて飾り気のない長剣に向き合った。
本当に綺麗な剣だ。すっきりとしたフォルムは見飽きない。
―――って、私は別に武器マニアじゃないけれど。
腰に下げておいたなめし革を掴み、こびりついた液体を拭う。
本当は手入れをするセットをちゃんと出せば良かったのだけど、いつでも荷物をしょって動けるようにしておきたかった。
「あれ?」
 頑固な粘性を持つ液体の下に何かある。飾り―――というより、文字だ。
見た事のない文字。
見た事のない癖のある字、ということでなく、普通には読めない。
どこかで見たような気がする記号群だ。
いや、よく見るのだ。見たような、ではない。
でも、どこで―――?
 私は様々な方向から記号群をみていた。その中に、唯一私の分かる記号群がある。
「G……E……I―――S? 『ジェイス』?」
 ジェイス、と言う名の人名を読み上げたときだった。
「親愛なる菩提樹の子、金の咆哮へ
   私は貴方の剣となる
      貴方が私を救ってくれたように
          貴方の窮地を救えるように」
 不意に耳に男の人の声が微かに囁いた。
あまりにも突然の事で、身体がこわばる。
毛足の長い絨毯に音も立てず、剣が落ちた。
耳に触れた暖かく、湿り気を帯びた空気は、あまりにも人の吐息に似すぎていた。
空耳というには生々しく、だからと言って声を聞いたのだとははっきり言えない。
唐突に飛び込んできたイメージ、誰かの意識と言えばいいのか。
それが声のように聞こえたのだ。
私は身体をこわばらせた。でも、攻撃態勢は取れなかった。
よく考えたらここはまだ未知数のモンスターの巣窟なのだ。
攻撃態勢がとれなかったのは、自分でも愕然とするほどの反応の鈍さから?
自問自答して気がつく。心は怯えていない。
私は声の持ち主を恐れていない。むしろほっと安心した。
……こんなところで、店長の声でさえないのに。
「誰か、居るんですか?」
 しんとした静寂。
警戒心を解かれてしまった私は長剣を拾い上げた。
また、光虫珠の光をはじき、鏡に飛び込む。
私は目をこすった。
誰かが、鏡に映る私の隣に立っていた気がしたのだ。
鏡に目を戻すと、ぎらりと反射を繰り返された光が直に目に突き刺さった。
目を閉じた瞬間、部屋全体が大きく揺らぐ。
熱を帯びた衝撃とあの死霊とは比べ物にならない音量が私を床に殴りつける。
「い、痛い……って、危なかったぁ!」
 私の目の前にあったのは銀の薄い棒。そう、剣だ。
私は長剣を下敷きにして倒れていた!
「でも今のは、何? わっ」
 再び床が大きく揺らぎ、床に手をついているのが精一杯の反抗だ。
なんだろう、また罠の一つだろうか。
それとも、モンスターがやってきたのか。
もしそうなら、こんな力の強いモンスターには私は絶対勝てない。
逃げ切れる自信だってない。
「……」
 どうしようとつぶやく事だって出来ない。
口の中が乾いて、苦い。
舌がぎしぎしと固かった。
「オルヴ! そこに居るかっ?」
「店長!」
 店長の声と共に光虫珠の光があの肖像画の目から溢れた!
助かった!
「店長、助けてください! 出口がないんです」
 肖像画に駆け寄り、背伸びをして叫ぶ。そうじゃないと、肖像画の目までは遠かった。
飛び跳ねて飛び跳ねて、肖像画の小窓を覗き込むと店長の目が見える。
 亜麻色の目が懐かしい。
喜ぶ私とは対照的に「うーん……」と店長は難しい顔をしていた。
「お前、本当にオルヴか?」
「はあ!? 冗談なしにして、出してくださいよっ!」
「いや、同じ事を言った奴がもうお前で5人目なんだよ」
「何言ってるんですか! 私が本物ですって」
 泣きたい。どうして一人で耐えていたのに、疑われなきゃいけないのか。
ずっと怖かったのに、
「と、いうのは冗談だ」
「はあっ?」
「怒るな、怒るな。当然、出してやりたいとは思うけどな。無理かもしれない」
「……はい?」
「確かに、ここに覗き窓のついた扉があるんだがな。開けられないんだ」
「……」
「扉のノブがない。魔法で壊そうとしたが、魔法を受け付けなくてな」
 そんなぁっ! じゃあ私、一生ここに居るの?
「……酷い」
「ん? 何か言ったか?」
「酷い、酷いですよっ、店長! 私は来たくなかったのに、店長がこんなところに連れてきたのにっ」
 涙がぼろぼろと溢れてきた。唇が痛くなるほど噛み締めていた。
「オリヴィア」
 店長の声は冷たかった。
「チャンスは与えたはずだ。『帰る』という選択を捨てたのはお前だ」
「……!」
 確かに正論だ。私は、私の意志でここに居るのだ。
でも微かにつぶやいた、店長の言葉に私は耳を疑った。全てを凍てつかせてしまう声は、私の空耳だったのだろうか? 
ただ、その店長の言葉は聞き返そうとすると私の耳から姿を消してしまった。
「……」
「だが、まあ目を離しちまった俺も悪かったな。それに関しては謝る。しかしだ。お前は人の話を聞けっ」
 店長が指をパチンとならすと、私の額に電撃が弾けた。
「俺は魔法を試しただけだ。いいか? 魔法だ。魔法は、武器による攻撃ではない。
魔法で相手の身体の自由を奪う事と縄で自由を奪う事とは訳が違う」
「……じゃあ、物理的に試してみたんですか?」
「やってない。だから俺の話を聞けというのだ。短剣を貸せ」
「あ、はい」
 私は言われるままに短剣を渡した。
「ちょっと待ってろよ」と店長が小窓から見えなくなってしばらく、叩く音やギシギシときしむ音が響いていた。
音を聞いているだけとは、落ち着かない。
胸、というより胃のあたりがむずむずする。
とろ火でちょろちょろとくすぐられている気分だ。
一際大きい、『がごっ』という音がしたあと、店長は小窓に顔を出した。
「オルヴ」
「はいっ!」
「すまん」
「ああっ! ありがとうござ―――って、何? 今、何て言ったんですか!?」
「いやあ、俺も努力したんだけどなぁ」
「ちょっと! あきらめないでくださいよ」
「たまには差し入れ持ってきてやるから」
「な、な、何言ってるんですか! ねえ、その『いい汗かいた』って笑顔止めません?」
「……全く、うるさい奴だな。大概にしろよ」
「たっ大概にするのは店長の方ですよぅっ」
 店長はしばらく腕を組んであらぬ方向を見ていた。
「まあ、俺だってここまで育てた使える店員を失うのはきついからな。ちょっと待ってろ」
 店長は走って何処かに行ってしまった。
金色の髪と灰色のマントの裾が小窓から翻って消えた。
私の足から力が抜けて、また座り込んでしまった。
このまま出れなかったら、と思うと喉がきりきり締め上げられる。
まさか、店長はこのまま逃げてしまったのではあるまいか、何て嫌な事まで浮かんでくる。
店長は待ってろと言った。
だから、私は待たなくてはいけない。
待つのは嫌いなのに。
今まで待ってたって、父さんや母さんは帰ってきた?
私はいつまで待たなきゃいけないの?
どのくらいの時間が経ったのか、短かったのか長かったのか分からない。
私には店長の声がまた聞こえるまでがあまりにも長く、年月にすら思えた。
「オルヴ、扉からどいてろよ!」
 その声がなんて優しく聞こえたか。はいはい、勿論従いますよっ!
扉は2回、何か大きなものがぶつかる音がした。その一つに、熟した果実が落ちてつぶれるような音と、腐敗した肉類の悪臭も。
何か嫌な予感がする。
更に、水音のような、いや、もっと粘性の高い液体の音が肖像画の向こうからする。
想像したくないんですけど。
「どいてろよ」
 再びの警告。
「ヴォルゴっ」
 結んだ唇を爆裂させるような呪文とともに突風と言う言葉すら生易しい風が肖像画(の一部)をベッドまで吹き飛ばした。
肖像画(扉)が吹っ飛ばされたのではなく、店長が吹っ飛ばしたのは巨人(多分トロル)のゾンビと大理石の像をあの接着剤でまとめあげたものだった。
それが肖像画を突き破って大きな穴をあけたのだ。
素晴らしい力技ですね。
「あーあ、勿体ない。いいゾンビだったのに」
「ゾンビにいいも悪いもありますか?」
 性格とか?
「滅多に手に入らないんだぞ、トロルのゾンビ。トロル族自体滅多に居ない」
「希少価値ですか」
「希少価値だとも」
「残念でした、ね」
「いざとなったらお前を売り払うさ。トロルの5倍ぐらいで売れるだろ」
「やめてください。売らないで」
 シャレにならない。
「まあ、そんな事はあとで考慮だ。早く来い」
 細くて白い手が閃いて私を促す。
……考慮しないでくださいよぅ……。
「はい」
 私は肖像画の穴に向かったのだ。
店長が開けて、店長が待っている肖像画の穴。
そこに向かったのに……穴の向こうは鏡の世界でした。
「……どこ、ここ?」
 もう嫌だ。
光虫珠に煌々と照らし出されてとても明るいこの部屋は、何処もかしこも私がいた。
上下左右、前後ろどころか、もう、何処までも私が居る。店長は居ない。
ぐるりと、首だけで見渡してみてもあのメイドさんのいた部屋はない。
「どうしてこうなっちゃったんだろう……?」
 こんなことになったのは、確かに私が選択した事だ。
でも、こんなリスクを負うとは思ってもなかったし、店長だってこんなことは言ってなかった。
ただ、店長だってここまでこんな事になるとは思ってもなかったに違いない―――多分。
何故、こんな一面鏡張りの部屋に来てしまったのか、考えていくうちに端と気がついた。
店長は肖像画に開いた穴から手を招いた。
でも、店長の手はもっと大きくて、普通の人よりはほっそりとしていてもやっぱりがっしりした手だ。
あの手は……どう考えても見覚えがある。
だから、店長だと思った。
私は自分の手袋を外した。
店長よりも少し小さいだけで、女の子の手としたら大きい手は私のちょっとしたコンプレックスだ。
小さい頃からランスロット先生のところで剣やら何やら教わっていたおかげで、指は家事をしている子よりもごつごつと固く、マメやらひび割れやらでお世辞にも綺麗とは言えない。
あの手は、店長のよりむしろ私のに似ている。
ひらひら、と動かすと、四方八方に数えきれないほどの私も同じように手を閃かせた。
 私、失敗しちゃったんだ……。
鏡に映った手を見て、店長が手招きしたのだと思ってしまったにちがいない。
なぜ、見間違えたのか。
何かの本で『恐怖は幻覚を生む』とか、そんな事をかいていたと思う。
きっとこれだ。
「……あれ、これだと何かおかしいな?」 
 だって、私が手袋外したのは今だものね?
思わずまじまじと鏡の一つを凝視していると私は大変な事に気がついた。
「にっ、荷物袋がなぁいっ!」
 食べ物が!
 包帯が!
 水が!
「……どうしよう……」
 真っ白になった頭で、もうどのくらい呆然としていたのか分からない。
ほんの数十秒なのか、もう何時間も経ってしまっているのか。
こんな時、何をすればいいのだろう?
落ち着かなきゃ。
水―――水はもうないんだった。
何をすればいい?
何を?
《今、何を持ってる?》
「ああ、そうだ。今私は何を持ってる?」
  腰に吊った長剣。
あとは光虫珠だけか。
……こ、これだけぇ?
確かめるまでもなかったなぁ。でも、武器がある。
鏡を見るまでもなく、頭の防具はなくても、軽い胸部鎧と手甲、脛当てがある。
そして、包帯が―――包帯じゃないけど、ある。
私は自分の身体を抱きしめるように自分の二の腕を手繰った。
アンダーウェアの下に、肌にはない凹凸がある。
これは細くて幅広の布だ。二の腕をぐるぐると巻く布。
伸縮がよく利く包帯のようだけど、別に怪我をしている訳じゃない。
店長が私のためだと、外に出る時に巻くように言いつけたものだ。
同じように両方の太腿と胸に巻いてある。
多分こんなときの包帯代わりに使えってことだよね。
よし、包帯はある。
って、今の声は―――
「てん……ちょう―――?」
 いや、違う。店長よりもずっと穏やかな声だ。
誰? いや、何処から?
考えれば考えるほど、深みにはまるようで嫌だ。
とにかく、ここから先に進むべきか、とどまるべきか。
進んだら出口があるとは限らない。
でも進まないよりマシ。
ここで死ぬよりマシ。
私は長剣を引き抜いた。
「……」
 ……口開きっ放し。奥歯が見える。
「ぅくっ……ギャアアーーーーーーーーーーーっ」
 私が長剣を引き抜いた瞬間。
鏡に無数の影が増えた。長剣でなく、男の人が無数に増えた。
「あちゃぁ……」とばかりに鏡の中の男の人は頭を掻いて苦笑いしている。
鏡の中の私は彼の手を握り、驚きと恐怖に引きつった顔だ。
私が持っているのは剣。
鏡の私が持っているのは男の人の手。
「あ……あ……あ……あきゃぁあああぁああああぁぁっ」
 『三十六計逃げるに如かず』
昔の人はいい事を言う。


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