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死霊の館 8

Z.The Long Long Way to Home

長いため息をつくと足の痛みと耳の痛みでくらくらする。
「店長」
 帰りましょうよ、私は声をかけた。
「ああ。立てるのか?」
「多分―――っいっづっ……無理です」
「見せてみろ」
 店長は私の靴を外しにかかった。触られるだけで凄く響いて痛い。
「腫れているな。捻挫で済めばいいが……折れているかも知れん」
 折角大した怪我なしで帰れると思ったのに、泣きたくなってくる。
店長は私の長剣(ジェイスさんだけど)を足の外側に、内側にポイズンチェッカー棒タイプを踝を挟んで二本あてがった。
「っと、包帯はどこにやったんだっけな。包帯―――」
 包帯? そう言えば私、左腕に巻いておいたのを左手に巻き付けたんだっけ? 
左手に痛みは無いから、あれは夢だったんじゃなかった?
 手袋と手甲の隙間からのぞいてみてもやっぱり巻いたはずの包帯は無かった。
やっぱり夢だったんだよね。
杖の代わりか、何か無いか、私は部屋を見渡した。でも埃だらけの部屋ではそれらしき物は無い。当然だよね、あの“奥様”の部屋ならあるわけがない。
“旦那様”だってあんな屈強な体じゃ杖の必要も無いでしょうに。
「あ」
 目に留まったのは、部屋の隅の一本足の燭台だった。4つ又に別れた頭を持つそれは、多分私の背よりもちょっと高いくらい。
「店長、あれ取ってくれませんか?」
「うん? ああ、あれなら丁度いいかもな」
 店長が燭台を取りに行ってくれている間に、私は手甲を外した。
包帯が必要だから、また左腕の包帯を取ろうとして―――
「あれ? ちょっと堅い……」
 私こんな巻き方したっけ?
堅いとはいえ、巻いてある包帯だ。とれないわけが無い。差し込んだ端っこさえ掴んでしまえばいい。
あとはするすると引っ張った。やっぱり布が巻いてあるだけで随分と暖かかったわけで、端っこが袖口から抜け出ると外気に肌が触れてぞくっとする。
「ちょっと重いかもしれんぞ、オルヴ」
「大丈夫だと思いますよ、杖代わりですし。すいません、店長。包帯巻いてください」
 かつんかつん、と具合を確かめながら歩いてくる店長は「包帯あったのか」と口を開いてついでに目を見開いた。
「それ、腕のだろう!」
 なんで、そんな顔するんだろう?
「でも私、腕に怪我なんかしてませんよ」
「オリヴィア、荷物は?」
「あー……、どっかに忘れてきてしまったみたいです」
 たぶん、あの女中さんが居た部屋。店長が扉を破っちゃったところだと思う。
まずいよね、あの背負い袋には食料とか色々入ってたんだから。
「ごめんなさい……」
 店長はふう、とため息をついた。
「あの―――」
 何か大事なものが入ってたんだろうか。だとしたら取りに行かなくっちゃ。
「いや、いい。いいから。その包帯を腕に巻きなおしておけ。別に包帯じゃなくったって、ここには布なんか腐るほどあるんだ」
「でも、これがある―――」
「黙って巻け」
「……」
 店長って大抵つっけんどんで取りつく島が無い。なんでこの包帯を使っちゃいけないのか、理由ぐらい言ってくれたっていいじゃない。
店長は私の不満そっちのけに埃避けに家具にかぶさっていた緋色と金糸のカバーを裂きだした。なんとも豪華な包帯になるでしょうねえ。
しばらく、私が包帯を巻く微かな音と、店長が布を裂くびぃーっと野太い音だけが響く。
私は一つため息をついた。
店長に育てられてから早11年。でも、私は店長がこんなにナルシストで、説明不足、独り合点するような人だったとは思ってなかった―――とは言い切れない。店長の説明不足はとっくのとうに知ってたしね。
 いっつも大事そうなことは言ってくれない。
「巻くぞ」
 幅広く切った赤い布を手に、店長は私の足下にかがみ込んだ。
「はぁーい……」
 光虫珠の光を浴びて、冴え冴えと輝く店長の髪。それが、かすかな風になびいているスイバの穂のように店長が動くたび揺れた。
「あづっ」
 ぎゅうっと店長が添え木と足を挟んだのだ。いや、そうしなきゃいけないけど、それ、痛い痛い痛い痛い!
「ナルシストで悪かなったな、おい」
「なっ!?」
 なんでバレてるの―――っ!?
「何年お前を育てたと思ってるんだ、愚か者め」
「あ゛――――――っ」
 ぎしっと足を更に固められる。その痛さで呼吸すら苦しい。
「よし、終わり」
 店長が立ち上がったときには私は涙目の処理に困っていた。
「全く。魅了の魔法から助けてやったのに人をナルシスト呼ばわりするたぁ、躾がなってなかったようだな」
 魅了の魔法? ああ、そんなものにも掛かってたしまったような気がする。
「魅了の魔法とどういう関係があるんですか、あの言葉に?」
「気が散ったろ」
 ……?
「気が散って、奥様のことが頭から吹っ飛んだろ。あの程度の魅了の魔法から逃げるなら別のことに気を紛らわせることだな」
「へえ……」
 なるほど。でも、それだけじゃ店長がナルシズムに走ってないっていう理由には乏し―――
「なんだね、オリヴィア?」
 理由には乏しくないですね、はい。

店長に渡された燭台と、借りた手とで私はなんとか立つことが出来た。
体重をかけるとやっぱり痛いのでひょこひょことゆっくり歩くしかない。
道は店長が地図を作って歩いていたのでそれを参考に行く。
「地図は書くべきだぞ。帰り道だからな」
「そうですねぇ……」
 私は頷きながらもジェイスさんの言葉を思い出していた。
―――ここは作り出された空間なんだよ。間取りはそいつの望み通りになるんだ―――
―――そうじゃなくてね、例えば箱庭と思ってくれればいい。しかも手間のかからない、望み通りのコーディネイトの出来る箱庭―――
「店長、その地図って役に立つんですか?」
「あ?」
 2、3mほど先を進んでいた店長は振り向いた。「何言ってんだ?」というように顔をしかめている。さっきからどこかでズズン、ズズンと音がしている。なんだろ?
「ジェイスさんが言ってたんですけどね、ここって誰かが造り出した空間なんですよね? 間取り自由、望み通りに作れる箱庭」
「ああ、そうだよ。それで合ってる」
 平然と言われてもなあ。
「じゃあ、私たち出れなくありませんか? 誰かが私たちを閉じ込めたいって思ってたら私たちは閉じ込められちゃうでしょう?」
 店長はぽりぽりと頬を引っ掻いた。私の言葉を逡巡しているようだ。
「確かにそれで間違っちゃ無いけどな。だが、所詮箱庭だ。大丈夫」
 どっからその言葉が出るんだか。私たちを閉じ込めたいと思ってる人を見つけて、その人に出してくれるよう頼まなきゃいけないんじゃないの?
それとも、もう店長はその人に出してくれるように頼んであるとか?
「分からないか?」
「うー……はい」
「箱庭なんだよ。箱庭には箱があるのは理解出来るな?」
 閉じ込められたことがありますからねぇ……。あれは酷い目に合った。
「いくら区切った所で箱全体の容積は変わらないし、箱の外観だって変わるまいよ」
「でも、あんなに広い迷路みたいな部屋とかあったじゃないですか」
「だから、術者が好きに部屋をアレンジできるんだろうが」
 まだ首を傾げる私に店長はため息をついた。
「フロアトラップとか、便利なもんがあるだろう」
「ああ―――っ」
 なるほど! あれを使ったら間取りを好き区切れてもまだ狭い部屋の中をとてつもない広さに感じさせることが出来る。特に鏡の部屋なんて私一人パニックを起こしたりしてたし!
「種明かしおわり」
「じゃあ、じゃあその地図見せて下さいっ」
 日焼けで変色した羊皮紙に薄くなったインク。
そこに引っ張られている新しいインクのライン。今はここだ、と地図を指す指を光虫珠が照らしていた。
「……」
「分かったか?」
「店長……」
 これは―――
「私たち、今壁の中を進んでるんですか?」
「“もと”壁の中だ。早く出口を見つけないと、圧死するぞ」
 ……?
「術者がこうなってるから」
 店長はさきほどの“奥様”の玉を手の中で転がしてみせた。金色の、店長の髪と同じ色の文字がその表面に浮いている。さっき、店長「封印」って言ってましたよね?
「……まずくないですか?」
「ああ、まずいな」
「まさか、さっきからズズン、ズズンって音も―――?」
「奥方の夫の魔法が解けてきてるんだろうな」
 平然と返さないで―――!
ずずっと石臼を回し始める時のように低く響く音がすぐ近くで聞こえた。
「は、はやく行きましょう! 早く、速くっ」
 歩こうと杖代わりの燭台を前につくと、がつっと不吉な音がした。
私、決して横になんか突き出してませんよ、ええ。
まっすぐ突き出した燭台の足が、さっきまで壁に引っかかってなかったのに引っかかったってことは―――
「店長、道が先細りしてますっ」
「見りゃあ分かる」
 喋っている間にも燭台はどんどん壁に押されて横にずれて行く。
ええっと、ええっと……!
 私は燭台を横にした。
レンガと金属棒がかみ合う音が手を伝って骨に響く。指がしびれるがこれを落とすわけにはいかない。つっかえ棒としての働きを少しでも持ってくれればいいのだけど……。
「オ、オルヴ……!」
「早く、店長は抜け道を探して下さいっ」
燭台としては思いもかけない方向からの重みにずれようとするけど、四つ又に分かれた先端と猫足の土台のおかげだ。レンガとレンガの隙間の溝にしっかりと根を張ってくれている。
そのかわり、私は恐ろしいことを知った。
燭台の幹を掴む私の両手が徐々に、徐々に上に持ち上がりながら近づいて行く。
金属棒である燭台がたわんできている!
「店長、抜け道ないんです!?」
「―――うん。まあ、あるにはあるんだがな
「早く教えて下さいよっ」
 店長はかりかりと顎を引っ掻いて言った。
「お前のようにそこまで焦る必要は無いのだよ」
 その燭台離していいぞ。と店長はのたまった。
「言うだろ? 道がなきゃ作れば良いってよ」
 店長は腰に下げた硝子瓶をいくつか取り出した。私の見ている目の前で取り出されたのは、『スライムの臓腑』と『屍食鬼の爪』。
そして、指で辿るのは木で作られた壁の骨組みだった。
「魔法道具の材料ってのは、組み合わせによっちゃ魔力も何もいらない。いるのは―――まあ、好奇心だな」
 とんとんと木の表面を辿った店長の指は一カ所でずぶりとめり込んだ。指の付け根まで入ってしまう。
指であけた穴に『屍食鬼の爪』につっこみ、そこを伝わらせて『スライムの臓腑』を瓶三本分を注ぎ込む。
よくしなる『屍食鬼の爪は』はどんどん奥へとどろりとした溶解液を伝え―――。
次にズズン、と壁が一際せり出したときには、私はまぶしくて目を閉じた。そこに人の頭一つ分の穴があいて、外からの光が零れていたからだ。
「あらよっと」
 店長がちょっと強く蹴るとがらがらとあっという間に人ひとり余裕で通れる穴が開く。
「……」
「な? 別に売っ払えそうだった燭台をパーにする必要なかっただろ」
「……」
 空いた口の塞がらない私の前髪を、さわやかな風が揺らす。店長は一足先に外に飛び降りた。私の目の錯覚か、ゆっくりとマントを羽のように広げ店長は大地に足をつける。見ているだけで目眩がする。塔だったらしく地上6階建ての屋根ぐらいの高さだろうと思うけど、自分が飛び降りるとなるとくらくらするのだ。
「降りてこいよ」
 下から店長が叫ぶ。
 無理です。
「潰されるぞ」
 分かってます。
「平気だって」
 何をもって平気だとのたまうのですか、あなたは?
「勇気を出せ」
 ごごんと再び壁が揺れ、後ろを向けばあと一歩ほどの距離を残して壁が迫っていた。
勿論燭台はベシャンコだ。
 風が私の髪を下からあおる。
ダメダメダメダメ。
目が回る。
気持ち悪い。
吐きそうになって思わず膝をついた。
「馬鹿者」
 なんで店長の声が頭上から聞こえるんだろう。
そんなことを考える暇もなく、私は着ている服の襟首に首を絞められた。
重力が私の体を手放したような、心臓がひゅっと上にいくような感覚。
首の裏がぞわぞわする瞬間、私は目を堅くつぶった。
誰だって眼前に迫る大地なんて見たくない。
耳に風を切る音が聞こえ―――なかった。
「目を開けろ、臆病者」
 いらいらした店長の声に私は恐る恐る従った。灰色のマントがはためいている。
「お前な、そんなに俺が信用出来ないか」
「ひぇ……っ」
 眼下に広がるのはさんさんと穏やかな日の照った草原だ。呆然と見慣れない景色を見ていたが、背後にずずんと空気を震わせる音が聞こえたとき、私は我に返った。
落下感にぞわぞわ感が項から頭の天辺まで広がる。
「ひゃぁああぅああああぇええ……っ」
「痛っ、こらっ何するっ!」
私は私の肩を掴んでいる店長の腕をたぐり寄せてしがみつき、落下を待った。が、一向に大地は近づいてこない。
「……」
「……」
「……なんで、落ちないんだろ……?」
「……」
 すぱーんと軽快な音と共に店長の平手が側頭部に飛んだ。
「……痛い……」
「お前―――」
 鋭い亜麻色の瞳が私を睨みつける。
「俺の職を言ってみろ」
「魔法道具屋さんです」
「そうだ。ということは?」
「店長は魔法を使えます……。ああー、そっかぁ」
「お前、何年俺の所に居るんだ。馬鹿者」
 店長の稲妻まじりのデコピンがまた炸裂した。
ふわり、と風がマントをあおると店長は人差し指で天をさして、それを下に向けた。
 軽い浮遊感と共に、店長は降りていく。腕に掴まったままの私も一緒に緑芽吹くのを待ち望んだ草原へ。

ゆっくり、ゆっくり。 


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