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死霊の館 9


[.It Is Not Easy Even If Going Out to The Adventure or Being In The Home
  -The Ending Of The First Adventure-


 あの後は別にこれと言ったことも無く、ようやく帰宅の途につけた。店のある街、オレトへはあの死霊の館から半日歩いたイーグリールの村から乗り合いの馬車が出ていた。が、店長が「金がない」と仰るので、もめました。
「金がないってどうするんですか!」
「決まってるだろ。歩くんだよ」
 その言葉にげっそりしない人は居ない。乗り合いの馬車で3日かかる距離っていうのは歩いたら7日はかかる。
「食料も無しで? 私、そんな化け物みたいなこと出来ませんよ……」
 これを言うと流石に店長も思案顔になった。ウサギとかの小動物はまだ冬眠から覚めてない。狩って食べるには季節が悪かった。
はあ、と2人でため息をつくと店長は嫌そうに目を細めながら言った。
「カドレルの街で、戦利品を売るしかないな……」
 街道をとぼとぼ歩く。イーグリールから隣町トーズに一日半(馬車でなら半日ぐらい)、トーズの町からカドレルへの途中にあるマーガス山で一晩過ごして、やっとカドレルについた。イーグリール/トーズ間で一度乗り合い馬車に抜かされたけど、その馬車とは一緒にカドレルに入った。トーズからカドレルへは乗り合い馬車はマーガス山を迂回しなくちゃいけないから、結局マーガス山を越えたほうが早かったりするのだ。
「やってみるもんだろ?」
「そうですね―――お腹減りました……」
 食料は底つきて、マーガス山の樹皮(勿論食べれる奴)を干し肉のように噛んで騙し騙し歩いたのだ。もう頭が霞がかかったようで足下がふらついてぼろぼろだ。
「待ってろ」
 店長はふらっと居なくなった。初代カドレル領主ウェイン・エファールド・カドレル卿の像の土台に寄りかかった私はずりずりと座り込んでしまった。可哀想に思ってくれたおばあさんからハーブを練り込んだ小さなパンを貰った。人のやさしさに涙が出るってこの事だ、と思っていると店長が大きめのパンを一個買ってきて気まずくなる。3:1の割合で店長のパンを切り分けて食べた(勿論、小さい方が私のだ)。
 それから予定通り戦利品を売りにいった。なぜか相手は裏路地の入り組んだ所にある戸の奥に居た。これって、お勝手口と思うのですが。
薄暗い部屋は民家というよりも秘密めいて近寄りがたい。まあ、ここに入るまでに店長は何やら押し問答したけど。そして目つきの怖いお兄さんがパイプ煙草を吹かしてこっちを見ている。その横のお姉さんは真っ赤な口紅のついた唇を親指でなぞり、気怠げにぺろんと舐める。“奥様”に似ていた。怖いので「外に出てていいですか?」と店長に聞くと却下され、私はその妙な人たちの視線に晒されることになった。
 店長は中でもこれと言って特徴の無い男の人に声をかけた。
「よう、パレィ」
「お、ライオンか」
 パレィと呼ばれた男の人はニヤッと店長に応じた。
「買い取りか」
 パレィさんはいつの間にか私の前に立っていた。古い木の床を音無く歩く。
私は今気がついた。怪しげ、と思ったのは私以外のみんなは歩くときに音を立てて無いからだ。そんなことに感心している暇はなかった。
パレィさんは私の手を掴むと勝手に手袋を取り、まず指先から見た。あまり見ないで欲しい
「おい、パレィ」
「おい、ライオン。この子じゃ売りもんにするのに1年はかかっちまうよ。大損だ」
「誰がそいつを売るって言ったよ!」
 店長はやはり音もなく歩いてくるとパレィさんの掴んだ私の手を取り返した。って、あっぶない、私買われるところだったんだ!
「お前ねー、女の子売ろうと思ったら剣とか持たせるんじゃないよ。白魚みたいにほっそりと柔らかーな指の子が売れるんだ」
「売らないって言ってるだろ! 俺が売るのはこっちだ」
「あー、この子があの子か。お前が育てた子」
「分かったら商談に入れ」
 そうやってようやく戦利品の商談に入ったものの、すぐに密やかな声で喧々囂々罵倒と泣き落とし、脅迫が始まった。
一時間後ふらふらになった店長とパレィさんが、隣の部屋でお茶をもらった私の所にやってきた。
「帰るぞ」
「あ、はい。お茶、ごちそうさまでした」
帰りがけ、パレィさんは店長にこそこそと囁いた。
「何、ジリアンが!?」
 思わず店長が上げた声に彼はしーっと口に人差し指をあてる。
しばらくもそもそと喋り合って、私がうんざりした頃にようやくそれは終わった。
「じゃあ、また来いよ。オリヴィアもね」
 ぱちんとウィンクされた。
「あ、ありがとうございます」
 でも……なんで私の名前知ってるんだろう?
「行かなくていいからな」
 表通りで人ごみに混じってやっと店長は疲れきった顔で言った。
「あの野郎……」
 太陽の下で見る店長の顔は、薄曇りの空のせいか青ざめて見えた。
そんなふうになんとかオレトに帰ってきたのだが、帰ってきてからというもの、店長が挙動不審だ。
来客は全部私任せ、しかも「店長は居ません。いつ帰ってくるかわからない」と答えろと強要する。
まるで、ボス猫にいじめられた貧弱猫のようにおどおどしてるのだ。
そして、上の空で「足りない……足りない……」と呟く。
目がどこかに行っている。
それは日増しに酷くなっていく。もしかして、あの館に店長は魂を置いてってしまったんだろうか? 
いや、パレィさんに吸い取られたのかもしれない。カドレルから帰る時からおかしかったのだ。
突然馬車から飛び降りようとしたり、野営の時には脱走しようとしたりした。
「イレースさん、どうしましょう……」
 私は思い切って隣の日用雑貨店『花冠』の店主、イレースさんに相談した。豊かにウェーブを描く長い黒髪、紫水晶の瞳はこの国ファルデリアの民でなく、隣のサグルド人の美しい特徴だ。店長とともにこの街に来たイレースさんはオレトが誇る美女の一人でもある。頼もしいお姉さんが出来たようで、小さい頃から私はイレースさんを頼りにしていた。
「そうねぇ……」
 やさしいアルトの声が心地よい。香り高いお茶を入れながらイレースさんは含み笑いをした。
「あたしが行ってあげるわ。でも、明日にね」
「はい、お願いします」
 私とイレースさんは店長のことをしばらく忘れることにしてお茶の時間を楽しんだ。

 「うう……ううう……うっ」
 何の声だろう?
うめき声のような、嗚咽のような。
時々ごつっ、ごつっと何かを壁にぶつける音。
私はベッドから体を起こした。もう朝だけれど、一晩中変な声は続いて寝にくかった。
おかげでまだ眠い。
店長がなんか変なものでも召喚したのだろうか?
一つ大きなあくびをした後で着替えると私は居間に降りていった。
誰も居ない。妙な声はやはり店長の研究室から聞こえ―――ちがうな。
 食料の貯蔵庫だ。物はほとんど入ってないけど、人ひとりは十分に隠れられる。
店長?
「店長、そこですか?」
 光虫珠を手にはしごを降りると確かに人影が動いた。
「店ち……」
 闇に爛々と光る目!
「きょうぇえっ」
「ぎゃあ―――っ」
 奇声を発したそれに私は悲鳴を上げた。狭い貯蔵庫だ。声がよく響く。
その謎の生き物と私は互いの声でダメージを受けた。耳がくわんくわんする。
「あー、なんだ。オルヴか」
 考えなくてもその謎の生き物は店長だった。光虫珠に照らし出された店長はこの寒いのに裸の上半身に奇怪な毛皮を纏い、ズボンの代わりにズタボロの布切れを腰に巻いて訳が分からなかった。あの綺麗だった金髪を鮮やかで大きな鳥の羽で飾り、色むらで汚らしい茶色に染めていた。
 うつろな目に、手には手製の槍。
ああ、本当に店長の気は狂ってしまった……。
「店長としての俺は不在だから。いつ帰ってくるか分からんから。今貯蔵庫に潜む俺は魔法道具屋リッシュ・ライオンに捕まえられたポンヴァルーボの秘境の原人ンダガ・ルーだから。話しかけんなよ」
「店長……」
「店長チガウ。ワッシャんだが・るー」
 うっはうっはほーぅっと槍を振り振り踊る店長に涙が出た。
「リッシュ、オルヴちゃーん?」
 あ、イレースさんの声。
私は貯蔵庫の蓋を締めるのを忘れていた。表の扉はいつもイレースさんに渡してある合鍵であけたに違いない。
ぴたりと踊るのを止めた店長は怒った口調で私に囁いた。
「なんでイレースが来るんだよ!」
「……ンダガ・ルー。原人じゃなかったんですか?」
 当然貯蔵庫があいていることに気づくイレースさんはやってくる訳ですよ。
ンダガ・ルーは逃げようとする。
私は垂れ下がっていた毛皮のしっぽをこっそり踏みつけておいた。イレースさんは光溢れる階上からこちらを覗き込んだ。
「あら、まだ朝ご飯の準備中?」
「あー……食欲無いです」
「駄目よ、オルヴちゃん。ちゃんと食べないと」
 作ってあげるわ、とやさしいイレースさんははしごを伝って降りてきてくれた。逃げるに逃げられないンダガ・ルー。
「っく……! 何やってるのよリッシュ!」
 変装のつもり!? と爆笑するイレースさんの前で店長は頭を抱えてうずくまって観念したようだった。
 十分後。
居間に私とイレースさん、未だにンダガ・ルー姿の店長は席について黙りこくっていた。
私とイレースさんは2人で店長を問いつめたのだ。
「家賃を……滞納してるんだ」
 別に驚くべき情報じゃない。いつものことだ。それを指摘すると店長は項垂れた。
「4ヶ月」
「やっぱりねー。今日がタイムリミットだわね」
 イレースさんはこみ上げる笑いをかみ殺すので精一杯のようだった。店長から目を外している。
「タイムリミットですか?」
「そう。家賃滞納タイムリミット」
「もしかして……私たち、追い出されるんですか……?」
「大丈夫よ。そんなことは無いわ」
 黙る店長の代わりにイレースさんが答える。
「でも丁度いいんじゃない? これであんた、もうお金に困ることの無いスポンサーが手に入るってことよ? 何が悪いのよ?」
 話が見えてこない。
「スポンサーがついてくれるなら、別に良いことですよねえ、店長?」
 うつむいていた店長は顔を上げた。
何かを決心したような顔だ。強い意志を感じる。
「俺はな……」
 何だろう、凄い緊張する。
「嫌なんだよ! 別に面食いをするわけじゃないが、無理!」
 ……余計話が見えてこない。店長は錯乱を続け、以下が私がその錯乱から知り得た情報だ。
・ 独身男性の店子は4ヶ月家賃を滞納すると大家さんと結婚しなきゃいけない。
・ でも、店長は大家さんと一つ屋根の下を想像するだけでも地獄に放り出される気分である。
・ 従って、大家さんと結婚するのは無理だ。
・ 今回の冒険で滞納した家賃を払えると思ったのにパレィさんがごねたために予定の三分の二しか収入が入らなかった。
・ むしろ独身貴族を通したい。
その後店長は朗々と独身のメリットを歌い上げた。拍手しようかと思ったが、私は大家さんのことを思い浮かべた。
 レイチェル・フォライトニー。
私にもすごく優しい思いやりある人だ。貴族ではないが、商人のご令嬢で花の二十代。
しかも御両親を早く亡くされてからこの界隈に住宅地を作り大家として商売をしている。
「店長……優しい人じゃないですか。レイチェルさんって」
「ああ、優しい。すごく優しいな」
「じゃあなんで嫌だなんて酷いことを」
 店長は目を伏せた。
「……お前は知らないだろうが―――レイチェルの趣味にはついていけんのだ」
 表の扉でノックが聞こえた。店長の顔に緊張が、イレースさんの顔に笑いをこらえた笑みが。
「……出ますよ?」
「だっだあだあだあっ」
 店長の制止を振り切り、私は扉を開けた。
「おはよう、オリヴィア」
「おはようご―――」
 私は絶句した。今まで見た事のないようなキラキラしいドレス。
銀糸と絹の総レースだ。きらりきらりと目を刺すような光はダイアモンドだろう。頭に乗ったのは貴族令嬢が被っていそうなティアラ。
何ともゴージャスな花嫁衣装。
「リッシュ・ライオンいらっしゃる?」
 白い鳥の羽毛のついた白い扇子をふりふり、レイチェルさんは言った。その顔を見て、私の体が変な風に痙攣する。一度実験で見た脊髄に針を入れられたネズミになった気分だ。
店長を上回り天井にぶつかりそうな身長、太くがっしりとした筋肉で覆われた四肢。
女性らしい胸なのか、それともよく発達した大胸筋か、厚い胸板。
その手の指一本一本は私の指二本分はある太さなのだ。
いつもの大人しいドレスでは気にならなかったものが体のラインをあらわにしたドレ
スでは全て気になってくる。何より、扇子の後ろの化粧された顔。
オーガーの花嫁だ。
化粧をしなかったら、本当に暖かい、穏やかな顔なのだ。
何が悲しくてそんな立派すぎる隈取りを!
「似合うかしら。最新のお化粧なんですって」
 ころころと鈴を振るような可愛い声で笑うレイチェルさんには騙されてるよ! と口が裂けても言えない。悲し過ぎて何も言えない。
「レ……レイチェルさんは、旦那さんを貰ったら、やっぱりお化粧して過ごします?」
「当然ですわ! 旦那様にみっともない姿等見せたくはありませんもの」
 レディのたしなみですわ、と微笑むレイチェルさんに……涙が出てきた。
「祝福して、泣いて下さいますの、オリヴィア?」
 心配げに私を見下ろすと、わざわざ腰を屈め、レイチェルさんは視線を合わせてくれた。怖い。
「ありがとう」
 白い絹の手袋をつけた大きな手が髪を撫でた。
「通りますわね」
 頭がドレスと同じ、真っ白になった私はレイチェルさんを通してしまった。店長の悲鳴が響く。
「嬉しいですわ、リッシュ・ライオン! 私のためにそのような姿で居て下さるなんて!」
「うわあああああああああああああああああああああああっ」
 ンダガ・ルーは空しくレイチェルさんに小脇に抱えられ店を出て行った。
「……」
「行っちゃったわねー……」
 イレースさんはため息まじりに笑った。
「またこの店、変な噂立つわね」
「……でも、もうこの店閉店じゃないですか?」
「どうして?」
 どうしても何もないじゃないですか。
「だって……店長居ないし……」
「家賃を払うなら今のうちよ。こんな朝っぱらから婚姻を神に告げてくれるような司祭なんてこの街に居ないもの」
 イレースさん、根本的な所が……。
「お金、無いんです……」
 項垂れた私にイレースさんはポンと肩を叩いた。
「あたしの店、これから当分お手伝い欲しいなーって思ってるんだけど? 朝から夕方まで。お昼とお茶が付いたりしちゃうのよ。ケーキ作り手伝ってくれた子には特別手当つけるわ」
「本当ですか!?」
 なんて豪華な条件!
「一ヶ月。私の店は忙しいわよー?」
「お願いします、お金を貸して下さい!」
「そう来なくっちゃ!」
 イレースさんは嬉しそうに自分の襟首から胸の中に手を伸ばした。
取り出されたのはずっしりと重い袋!
 イレースさんは光が弾けるように微笑むと表へ飛び出した。黒髪を風になびかせ、カーキ色のスカートが花のように広がる。
その後ろ姿を見て私はため息をついた。
店長ははた迷惑だからこれで厄介払いできるって考えなくもなかった。
でも、今まで自由に過ごしていた鳥を無理矢理籠に詰め込むのも間違っている気がしたのだ。
これから当分イレースさんのお店で働く。
穏やかな毎日が始まることが、実は嬉しかったりもする。



Fin
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